信じないものが救われる~健全に疑うことの重要性

小学5年生のころ、「水を飲んじゃだめ」と野球部の監督が言っていました。

休憩時間になると「2口だけ飲んでよし」なんて言われて、日本の学童はみんな真面目だから、本当に2口しか飲んでいない人が多く、みんなボロボロになりながら練習をしていました。

一方でわたしは、小学生のころから不真面目なタイプだったので、顔を洗うふりをして好きなだけごくごく飲んでいました。笑(そして6年生になるときに部活は辞めました)

でも今思うとこれは笑い話じゃないなあと思います。

みんな無事で良かったです。(心の傷は負っただろうけど)

 

最近では、こんどは逆に振れて、

「喉が渇いたと感じたときには遅い。それではパフォーマンスが落ちる」というような理論を聞く時代になりました。

前よりは好みだけど、でもわたしはいつものように、それもどうかな?と少し疑っています。

なぜなら、喉が渇く前に「いつ水分を補給しようか?」と時計を見ながら考えているようでは、気が散ってパフォーマンスが落ちると思うからです。

Don’t think. Feelの本当の意味

ぼくらの身体の作りは基本的に狩猟採集時代のままだそうなので、

その時代は「のどが乾いた」と感じてから水を見つけるまでには長い時間が必要なケースも多かっただろうから、

ぼくらの脳は、相当の余裕をもって「のどが渇いた」という司令を出しているはずです。

なので、水筒にたっぷりの水を用意しておくことは無駄な心配を減らすためには合理的で現代的だと思うけど、

実際に飲むのは「のどが渇いた」と感じてからで十分で、それは自分の身体を信じて任せておくのが最善だろうと思うのです。

 

今度は逆に飲みたくない水を飲まなければならない問題になってしまったら、それはまあ笑い話でいいと思うけど、

でもその場合は、自分の身体のペースで「水を飲みます/飲みません」(あとは「トイレに行きます」もね)と、あなたの身体よりも群れの和を重んじそうな誰かに気を使わずに堂々と言えるかどうか?ということと、

あとは逆側から見て、万が一なにかが起こってしまったときに責められるリスクを減らすための過剰な防御姿勢が隠れている気がしないでもなく、

こういうことの奥には、日本人ならではのなにかネバネバした人間関係がらみの心の問題が隠れている気がします。

 

こういうことは、正解かどうかよりも自分なりに考えるところがポイントだと思っていて、

ちなみにわたしは巷の科学を全面的には信じないように心がけています。

なぜなら科学といってもいろいろあると思うし、その多くはビジネスに過ぎないと思うからです。

順番としては、売りたいものが先にあって→その中に有効成分を探す…というような流れが、自分もビジネスのときにはそう考えることがあるし、多い気がします。(有効成分なんてどんなものにでもなにかしら含まれていると思う。笑)

アインシュタインのような本気な人を除いては、科学もスポンサーが求める理屈を組み立てるのが仕事なわけで、個人を責めるわけではなく、どんな職業でも世の中そんなものだと思うのです。

人間なんて自分に都合よく考えるもので、それは自分も含めてそうだし、でもそれは決してネガティブな意味で言うわけではなく、

それを前提とすることで「自他がそうであることを許す」というところへつながれば、自分が楽になれると思います。

「人間なんてそんなもん」と思えると楽になれる

 

その上で、相手がどれだけ正論っぽく言っても、それを健全に疑ってあげることは、

たとえば、あの人があんな無茶なことを言うのは、ひたすら生真面目なのかな?科学データを信じたのかな?それとも支配欲なのかな?そもそも自分の父親にそう育てられたのかな?など、相手の動機の部分を理解しようと試みることを通して、

自分が被害者にならないだけではなく、相手を加害者にしないためにも、現代には必要な思考能力ではないかなと思います。

だから、自分のために自分の判断で水を飲むような自分の人生を左右するかもしれない大きなことから、

友だちの誘いでも気分が乗らないものはちゃんと断るような小さなことまで、(あなたもわたしのを断っていいんだよという解放も含めて)

自分を無駄に傷つけさせないという意味で、

相手の動機を健全に疑い、そのうえで自分の意志で決断するという姿勢は、大きな意味で愛だと思うのです。

 

そしてそれができるかどうかは、心がけというよりも、育ち方が大きく関わっていると思います。

自分の判断やNOを認められながら育った人は、それを悩むことなくできると思います。

そうなると…、ビジネス心理カテゴリーに入れるつもりの記事がどんどん子育ての話になっていってしまうのですが、笑

こんなことを少し考えてみるだけで、「はいと返事しなさい」みたいな教育はもはや百害あって一利なしどころかリスクだらけだなあ…と思うし、

また自分自身についても、そもそもの「なにかを盲目的に信じないのための自己肯定感」が大事だなあと思うのです。

 

 

ということで、「信じるものは救われる」…というお話でした。

あれ?と思いましたか?

そう「信じないものが救われる」ではなく、やはり「信じるものは救われる」で間違いないです。

ただし信じるのは「自分」…です!笑

 

 

なるほど、ツッコませたり、自分なりの答えを見つけさせたり…

さすが世界一売れている本は、やはりよくできているんだなあ…

 

ただそれも、その本が出来上がるまでの長い年月の間にどれだけの人の思惑を経てきたか?や、目の前でその本から引用する人(←わたしのことね笑)の動機や、あとはそもそも聖書にこの言葉は本当にあるのか?笑(そこ疑ったことあります?)など、

たったこの一言についてでさえ考えさせられることが山ほどあって、面白いです…

 

 

 

♪Don’t believe the devil
I don’t believe his book
But the truth is not the same
Without the lies he made up♪

 

「ジョンレノンについて書かれたそのいんちきな本を信じるな!」から始まる、怒涛の「信じるな!」メッセージが強烈

 

♪I……… believe in love!♪

 

 

 

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