日本はマイノリティにとって生き辛い場所だけど、でもマイノリティが滅ぼされてはだめな理由
みんなが同じであることは、リスクです。
イケイケばかりな群れだと、渡れない川を全員で渡ろうとして全滅してしまうかもしれないし、
でも逆に慎重派ばかりだと必要な時期に移動ができずに飢えてしまったりと、あまり偏りすぎるとそれはリスクになります。
でも群れに、極端に無鉄砲なタイプが少しと、逆に極端に恐れに敏感なタイプが少しいれば、バランスがとれた群れになります。
匂いや音に敏感なタイプがいれば外敵に襲われる危険性を減らすことができるし、無鉄砲なタイプが誰にも相談もせずに川をみたら好奇心で飛び込んだりするおかげで、新天地へ行けたりします。
群れとして生き残るためにはまとまる必要があるから、群れの中での一番の多数派は互いの関係性を築くことが得意なタイプだと思いますが、この場合、能力が極端なタイプは少数派になります。
少数派がなぜ少数なのかというと、群の中に少しだけいれば済む機能だからで、多数派を目指す必要はなく…というかなってはだめで、少数派のままでいることに意味があります。
全体として生き延びるには、多数派と少数派の両方が必要です。
そして多数派は多いわけだから、少数派を活かす鍵は、多数決でものごとが決まる現代では多数派が握っています。
日本は、大陸の国のように望まなくても多様性に晒されてしまう厳しい土地とは違って、自ら進んで受け入れない限りは多様性を持ちづらい、小さな島国です。
そのおかげでまとまりやすい反面、マイノリティにとっては、生きることが楽ではない土地かもしれません。
でも、たとえば「空気が読めないタイプ」は、いざ外国人と勝負!となったときに物怖じしないで言うべきことが言えたり、
外交相手が逆切れをしたときにさらりと逆切れをし返せる(笑)、日本人の中では数少ないタイプかもしれません。
でも、この国で多数派を占める「空気が読める人たち」が、そういう自分とは異質なものを排除していけば、いざ必要になったときに必要な能力が群れの中にない……ということにもなりかねません。
実際、日本は何度も外国との圧倒的な差を見せつけられてきたし、単一的な思考によって全滅に近いほどの痛い目にも合ってきました。
ちなみに、発達障害というのは実は障害ではなくて、人間の脳の多様性によるものだそうですね。
ではなぜ「障害」という名称なのかというと、そうでない性質が多数派だから、に過ぎないそうです。
わたしも自分が多数派なことで気付かずに快適なことがあるだろうし、少数派な場面では生き辛さを感じます。
みんなそうやって生活のあらゆる場面で、多数派だったり少数派だったりしていると思います。
自分がその分野で少数派であれば、それは全体にとって貴重なんだから負けないこと、
自分がもし多数派だった場合は、少数派を尊重して、ほかの無意識な多数派から守ること、
これができないと、多数派によって多様性がなくなり、免疫のない弱い国やグループになってしまいます。
人間関係が得意な人は、それを使って多数派として少数派に勝っていい気分になることが目的ではなく、
一生に一度、いや1000年に一度役に立つか立たないかくらいのレアな特性タイプまで含めた少数派が快適に生きられるように面倒を見るところまでが、本来の役割です。
その代わりに、少数派が体験するような過剰な恐れのホルモンに襲われることもないし、一番初めに川を渡ろうとしてしんでしまうリスクも負いません。
能力の種類は少しずつみんな違うわけだから、本来は群れに属したならもっと快適なはずで、
苦手なことをがんばらせ合う必要もなくなり、得意な力を出し合って、お互いに楽に生きていける群れに、多数派次第でなれるのです。
それが本当のチームワークだと思うし、多数決をとる前に理解しておきたいことかなあと思います。
多数決は冷静に考えれば妥協に過ぎないし、複雑な現代の世界においては正しいどころか間違っている可能性すら大きいんだ…いうことを理解しておけると、いろいろ安全かなと思います。
今日の一曲
♪♪Why can’t we learn from all we’ve been through
After two thousand years?♪♪
そしてこのあと歌詞の最後の一行が泣ける。(あえて書きませんが)