よく誤解される人の悲しい特徴

誰よりもがんばっているのに、なぜか誰よりも責められてしまう…など、

よく誤解されてしまう人の特徴は、本来の自分と分離していることかなあと思います。

そういう人は、外へ出ているのは自分ではなく、自分のアバター(分身、キャラクターという意味)です。

そして恐れがとくに強い場合は、念には念を入れて、他人が目にするのはそれをさらにコピーしたアバターになっています。

 

まあ日本は建て前社会なので、素の自分で外を歩いている人はほとんどいないと思います。

健全とされる大多数の人も、社会でうまくやるために、少なくとも1~2回の縮小+あえての劣化コピーは経ているように見えます。(欧米人は動機は同じだが拡大コピーなケースが多いかも)

そういう観点では、本当の意味ではここには誰も居ないかもしれません。(意識の本体はどこかへ避難している)

 

一方で、たとえばネット上で匿名の場合に言う言葉や、また組織や家庭などの「内側」では別の人になってしまうようなとき、それは少し本音に近いだろうと思います。

なら、そういうダークサイド全開の自分が本当の自分なのか?というと、それもただ抑えたり我慢を重ねた結果の反応に過ぎない可能性があって、あやしい。

とはいえ生存競争に必死な自分の脳にとっては、どれが本来の自分でどれがアバターか?を考えるような贅沢な時間は、なかなかとれるものでもないと思います。

 

 

誤解されやすいという人は、誤解というよりも「差異」と考えると、対処しやすくなるかもしれません。

誤解する他人もアバターに過ぎない可能性が高い上に、そもそも自分が他人に与えたい印象とは、本来の自分というよりも、生存競争で残っていくためのキャラクターに過ぎません。

相手からすると、ときおり見え隠れする本来のその人と、恐れからわざと弱くなっている目の前のアバターとの差異に混乱するかもしれないし、

逆に弱くても周りが守るつもりなので大丈夫な場合にも、恐れから強さの表現を手放せず、助けを拒むようなケースもあるかもしれません。

そういうときの相手の反応を、自分が「誤解」と感じてしまうことは多いと思います。

 

誤解されることで悩んできた人は、そんな自分のずれ具合に温かい気持ちをもって気が付けると、楽になれるかもしれません。

さらにいくなら、たとえ恐ろしくても本来の自分として生きることができれば、相手の自分への印象と自分の自己評価がマッチするので、「誤解」はなくなっていきます。(その代わり「出る杭」にはなってしまうかもしれないが…苦笑)

そういう意味では、社会で摩擦を生まないための弱かったり劣っていたりする設定のアバターを自分だと思い込んでいる人にとっては、

他人がその差異に違和感を感じてくれることは、辛い気持ちを分かってもらえなくて悲しい反面、実は幸運なことかもしれません。

 

 

 

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わたしは30代以降、子育てにおいて、男としての勝利のみを目指していたそれまでの自分では危険だと感じたので、そのアバターを壊し、新たに子育て用のアバターを創りました。

ただ、それまでに築いたキャラのほぼ全てを手放してみて、それはある意味で以前よりも素の自分に近い(幼少期の自分に近い)と感じた半面、

なにもすべてを否定する必要はなかったのでは?という気がしなくもなくて、笑

自分は罪悪感が強いんだなあ…と気が付きました。(本来の自分になったつもりでいたが、今思うとそれも罪悪感に対処するためのアバターだった)

 

いろいろな経験をした今、改めて、本来の、素の自分とはどんな存在なのだろう?と考えることが増えていて、こういう文章になりました。

まあ40代後半にして迷子なわけだけど(まあ最初からずっとだが笑)、

人生のセカンドハーフとは、そうやって旧いものを一旦失うところから始まるらしいので↓、わたしも受け入れていこうと思っています。

 

前にも貼った気がするけど、

人生のファーストハーフは自己を確立するためにあって、セカンドハーフはそれを失うところから始まる、というお話。

西的な考え方では、自己が拡大を目指すファーストハーフを「人生のすべて」と考えるが、それはまだ「半分」に過ぎないとのこと。

ただし、人生を終える間際までファーストハーフの人もいるし、人生の早い段階でセカンドハーフに入る宿命の人もいて、だから何歳からがセカンドハーフ…というような決まったラインもないとのこと。

ファーストハーフは生き延びる術を学ぶ段階としては当然必要で、

セカンドハーフとは、一般的な生存競争とは異なる次元で人間としての命を体験してみる段階、とわたしは理解しました。

ファーストハーフにおける自己の拡大を否定したり、「清貧」を勧めているわけではないところが、個人的に抱いていたキリスト教へのイメージとは異なっていて、現実的で新しいなあと思いました。

 

私たち全員、いつかはもれなくすべてを失うことを考えると、決して落ち込むような話ではなく、

むしろ歳を重ねることが楽しみになる、希望が湧いてくる話なので、とてもおすすめです。

(字幕をONにするとへんな日本語だけど表示されます)

 

 

 

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