マインドフルネスという言葉を使うのをやめます

先日本屋でビジネス書を眺めていたら、マインドフルネスの本があったので手に取ってみました。

でもそこには、わたしの思うマインドフルネスはなかった…。

ほとんどの本は、瞑想をして、集中力を高めて、さらに効率的に仕事をさせる(自分や他人に)ためのノウハウ…な気がしました。

瞑想をして気分がすっきりしたら、さあ仕事をがんばりなさい…

楽しくもないことを、さも楽しいかのようにやりなさい…

夢は諦めて、デスクの周りの幸せを見つけなさい…

「コーチング」という言葉が大企業で流行りだしたときも思ったけど、アメリカから取り入れるそういう新しい言葉は、日本に入ってくるとどうも意味が変わってしまう気がします。

 

安易なコーチングでは、「あなたはどうしたいですか?」と質問して「がんばりたいです。」と相手が答えると、自発的にやらせることに成功する。

でも、もしそれが罪悪感から出た言葉なら、本当はまずそこを解かないとならない。

なぜなら、罪悪感や義務感からやるのならそれまでと変わらないし、

なぜそれまで問題だったのか?と言えば、罪悪感でやる仕事には心が病んだり体が病んだり不幸せになったりといった副作用があるだけでなく、

その力は「全力」にはなり得ないからです。(楽しくやっている相手には敵わない)

質問の答えがすでに決まっていて、「がんばりたいです」と答えることが、なんの検討もない大前提となっている。

そうなるとそれはもうコーチングではなくて、「コントロール」に過ぎない。

「かんばりたいです」と答えざるをえないようなとき、言論の自由が実質的にはない上下関係が根底にあったりして、コーチングがコントロールに成り下がってしまう問題は、根は深い。

子供にも習い事を「やりたい?」と聞けば、子供は子供らしい好奇心でたいていは「やりたい」と言う。

でもやってみた結果にやっぱり違ったと子供が感じても、「始めたことは最後までやりなさい」とか「やりたいと言ったよね」と、大人は大人の権力で逃げ道をふさいでしまう。

大人が教育のつもりで、実際やっていることがコントロールだと、子供がもって生まれた未知の時代を生き抜くために不可欠な好奇心を破壊することになってしまう。

子供にそうなってしまう親は、自分がそう育ったケースが多い。

 

そんな中、マインドフルネスは個人的にとてもお気に入りの言葉でした。

マインドフルネスのおかげで、わたしの場合は自分のそんなダークサイドに気が付くことができたし、

また禅よりも気軽だし、下心があって(なにかを良くしたくて)瞑想するのも、現代的でいいと思った。

でも日本人はどんな良いアイデアも、さらにもっと自他を働かせようとする方向へ使ってしまう癖があるように思う。

これまでは嫌なことをがんばるだけで済んでいたものが(苦笑)、マインドフルネスが悪用されるとさらに心の奥まで汚染されてしまうようで怖い。

コーチングで「自ら進んで」やるようにコントロールされ、

マインドフルネスでそれを「楽しそうに」「集中して」やらなければならなくなり、

ワンチームでそれを「和を乱さずに」やらなければならなくなる…

ラグビー日本代表の「ワンチーム」は、マイケルさんの話から「上下関係なくみんなに同じだけの発言権がある(=初めて日本人がスポーツで上下関係から解放され全力を出せた)」という意味だとわたしは受け取りましたが。

さっそく大喜びで「ワンチーム」を「統制」に使う部活顧問の人がテレビに出ていて、番組はなんとそれを称賛していて、

ようやくパワハラや体育会系が落ち着くかと思えば、今度はもっとコントロールが賢くなっていく…

ぼくら大人のエゴから子供を守るのは、自分のエゴもそうだけど、エゴとは本当に狡猾な生き物でなかなか難しいもんです。

(なんだか今日は愚痴ばっかりですいません…)

 

マインドフルネスという言葉も、シリコンバレーは自分の動機をエゴから楽しみへと変える目的で使うけど、ぼくら日本人の場合は「自由になるため」に使うといいとわたしは思います。

これまでやりたくもないのにがんばっているふりをしていた自分に気が付いて、自分の本当の最初の動機を思い出す。

今嫌だと思っている仕事についても、ワクワクした部分が最初はあったのかどうか?

あったのなら、いまは一時的に嫌いになっていたとしても、そうやって気が付けばまた最初のワクワクが戻ってくるかもしれない。

でももし完全に冷めてしまっていることがマインドフルネスで明らかになったなら、次を考えた方がいいのかもしれない。

誰しも「変わること」は怖いから、その仕事にしがみつきたい思いもあるかもしれないし、経営者はやめられたら困る…という事情を抱えているかもしれない。

そういう恐怖を乗り越えて自分の本当の心を知るために、感情と思考を分けて捉えることができるマインドフルネスはとても有効だし、

自分がもし恐れからの選択しかしていないとすれば、そういう心の構造をいったん壊して、もう一度ワクワクするような動機で再スタートを切る必要がある。

そうしないと、新しい時代ではたぶん生き残れない。

若い世代はすでに欧米のように「楽しいからやる」が常識になりつつある社会で、昭和世代が義務感程度の動機で生き延びるなんて、たぶんもう無理。

「嫌なことをがんばります」という類の仕事は、10年もしないうちにAIやロボットがやるようになるだろうし、もっと近いところでは日本人よりもずっとやる気のある外国人労働者に頼らなければならない分野ももう出てきている。

そんな中、組織全体が「言われたことはちゃんとやってます」程度の動機しかもっていない場合は、その組織はもうしんでいる。

この辺りは「新しい時代に生き残るために」という下心だけど、そういう意味で「禅」とは少し違う「マインドフルネス」という言葉は、現代の生活で役に立つと思うのです。

 

とはいえ、マインドフルネスという言葉の社会的なイメージとやりたいことがなんとなく合わなくなってきた気がするので、わたしは使うのをやめようと思います。(といっても代わりの言葉は見つかっていないけど。「禅」ではまじめ過ぎるしなあ…)

ただその本来の考え方は大好きなので、活動は変わらず、お客さんとの瞑想などももちろん続けていきます。

 

 

ランチミーティングのあとの山下公園での瞑想は定番。

この日は赤レンガ倉庫裏で、横浜ベイブリッジを望みながらの瞑想。

やり方は少し変わっていて、わたしは守り役として一緒にベンチに座ります。

自分は守られているんだと感じながら、安心して瞑想をしてもらうことが目的です。(目を瞑っている間に荷物を盗まれるんじゃないかとか、後ろから危ない奴が来たらどうしようとか、まあそんな話ですが笑、自分がそうしてもらえたらなあとよく思うので)

 

美味しいものを食べたあと…というのも、エゴの過剰な活動に和らいでもらうという意味でポイントです。

まあ瞑想と言っても、傍から見ると二人で気持ちよさそうに座っているだけですが…

この日はなぜか鳩も一緒に…笑

(そしてこれをやっておくと、心が自由になるからか、このあとのエゴ全開のビジネス戦略会議がめっちゃ盛り上がる)

 

 

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