責められがちな人が理解できるといいこと
世の中には3種類のお猿がいる。
- 10匹中1匹は、奪うことしか考えられないお猿。
- 10匹中8匹は、相手が強ければ奪わず、でも相手が弱い場合は奪うお猿。
- 10匹中最後の1匹は、相手がどうであれ奪わないお猿。(←もしかしたら「人間」かも)
これは人格(=猿格)の話をしているのではなく、性質が遺伝する確率の話。
それは生まれ(遺伝)育ちで決まるので、本人(本猿)の心がけの問題ではない。笑(わたしは正直いえば2だったな…。ただいま改心中!)
そしてそれは良い悪いの話ではなく、いまのところは全タイプが上記のバランスできっと必要。
もしあなたが責められがちなタイプな場合は、責める相手はそれを匂いで判断している。
積極的に強気に吠えるタイプの犬は、相手の恐怖を匂いで感じることができるから吠える。(→そういう行動をとると脳内の快感物質が出る)
逆に相手に恐怖がない場合は、吠えても効果がない(=奪えない=脳内の快感物質が出ない)ので吠えない。(弱気な犬が恐れで吠えるのはまた別の話)
そういう生まれ育ちや遺伝からくる脳の自動運転は、基本的に変えることはできない。(マインドフルになる以外では)
あなたが他人から物心ともになにかと奪われがちなタイプな場合は、どういう経緯でそうなったのか?を理解できると、対処がしやすくなる。
身体が弱い場合は、たとえばスポーツでもボールを奪われる可能性は高い。
それは生まれの問題。
楽しみのためにやるならいいが、勝つためにやるのなら無意味…どころか、やらないほうが賢明。
そして勝てないからといって落ち込むのは、ボールでは、すでに現役を引退した旧い本能をつかって遊んでいるだけなのだから、さらに無意味。
そして気が弱い場合も、生まれながらに弱いケースもあるし、育ちの中で強さを失っていったケースもある。
心の問題は精神のがんばりで解決しようという風潮は強いけど、(とくに日本では)
心の弱さは脳の問題なので、身体の弱さと同列で考えるべき時代にはすでになっている。
それが育つ過程でできた脳内回路だった場合はもしかしたら書き換えも可能かもしれないが、
でもあまりにも厳しい環境だった場合は、もはやそれは「生まれ(宿命)」と言えるほど根が深い可能性もある。
いずれの場合も、弱いなら戦わなくていいところへ行くしかないし、そうせざるを得なかったとしても、罪悪感を感じることにメリットはない。
自分の弱さについて客観的に理解ができると、たとえば移動するにも、自分がそうすることを赦してあげやすくなる。
責められがちな人は、間違っているから責められているのではなく、弱いから責められている。(=奪われている)
逆に、あなたが間違っていても、強ければ責められない。
ここは野生の王国なので、そういうワイルドな仕組みであることは、残念ながら仕方がない。
そして奪う側が脳内のそんな快感物質依存(=本能)から抜け出すのは、とても難しい。
もちろんそれを恐れる弱い側の脳の自動反応も変えることは難しいが、
でもそんな自分という存在も含んだ全体像が見えてくると、
お猿脳の自動運転から出られるチャンスは、どちらかといえばそこにいることにメリットがない弱い側の方にあることが分かってくる。
脳内の旧いタイプの快感物質や恐れといった本能だけでは絶対に行けない場所があることに気がつき始めると、(たとえばお猿ではなく人間としての幸せとか、同じ成功でも競争しなくていい新しいルートでの成功とか)
その生まれと育ちという条件が揃わないと行くことが不可能な、進むべき新しい道が見えてくるかもしれない。
(今日の一曲)
強くなることが進化だった時代はもうしばらく前に終わっている……を音楽で表現するとこうなる。
ただ少しシビアに考えれば…、
買い物で必要以上に安さを求めるようなことも、最初に挙げた中の2番目に入るだろう。(自分は直接はやらなくても、誰かに代わりにさらに弱い者をまけさせている。そういうチームに属している。弱肉強食の次元に属している)
自分の中のこの「得をしたい」「勝ちたい」「奪いたい」旧い本能との付き合いは、まだまだ長くなりそう。
強い側が変わるのはとてもとても難しいと思う。
でも、自分の中のそんな弱肉強食の「強」を手放せると、それと一緒に「弱」も手放せる…その次元から出られる…きっかけになるかもしれない。
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