仕事をがんばるのは偉いはたぶん古い
近い将来の「仕事」は、たぶん趣味の釣りやスポーツハンティングみたいな印象になっている。
昔は狩りに行けば村中から偉いね!と褒められた。ヒーローになれた。
でも現代においてハンティングへでかけても、どちらかというと「趣味だから仕方ないね」という印象。
食べるためならいいだろうけど、自分の脳内に快感物質を出すためだけに動物を追いまわすなんて、冷静に考えてみると微妙。
少なくとも「偉いね!」とはならない。
やらないで済むならやらないでくれたらいい気もするし、
同じ脳内快感物質なら、テレビゲームで満足してくれたらいいのに…と思わなくもない。
まあそういう私もたまに釣りを楽しみますが、キャッチアンドリリースで罪悪感をチャラにした上に、マナーを守る自分は偉いくらいに思った自分の独善的なエゴが、こうやって書いてみると少し気持ちが悪い。
逆の立場になって、もし巨人種が人間を釣るのが趣味で、わたしの口に穴が開いたまま善人っぽくリリースしてくれても、こらちのトラウマは一生残るだろう。
ところで、アメリカでは仕事をがんばることを、日本ほどは崇拝しない印象だった。
たとえば高速道路を走るトラックはみんなの道路を個人的な利益を得るために使っているわけだから、遊びで使っている一般人の方が優先、という話はアメリカ人の持論のようでよく聞いた。
そういう話を何度も聞いてきたからか、日本の高速道路で「おれは仕事してんだあー」みたいな感じのトラックがいると、ボランティアでやっているわけじゃあるまいし、なんだかなあ…と思ってしまう。
また、似たような話だけど、日本では海でさざえをとると、どこからともなく監視船がやって来て、上から一方的に怒る。
でもよく考えてみると、怒る人は自分は個人的な利益を海から得ているわけで、なにかしらの会費みたいなものを払っているのかもしれないけど、その営利集団全体として自分たちの商売のために海を独り占めにしているという見方もあるわけで、だから別に偉くはないし権力をもっているのもおかしい、と大人になってなおそう思う。
子供にはさざえやあわびをとって食べる体験をする権利が絶対にあるっ。(昔初めてさざえがとれたときに怒られた恨み節か…。まあちゃんと食べたんだけど。←美味かった。でもちょっと苦かった)
たしかスウェーデンだったか、北欧の本当の先進国では、そういうお金が絡む権力への抑止力がちゃんとあって、国民には自然を享受する権利が保障されているとのこと。(というか政治はそのためにあるはずだが、経済界の言いなりでどうする)
「karoshi」という言葉がOxford辞書に登録されているそうだけど、「日本人はお金のためならなんでもできてしまうエコノミックアニマル(兵隊かのように働けるなど)」という印象は世界ではいまだに根強い。
働く人だけが偉い、経済だけが判断基準、みたいな発想は、何周か遅れた後進的の発想…と感じざるを得ない。(恨み節止まらず…コロナストレスか笑)
まあそんなことを言っても、仕事をする人はやっぱり偉い。
海に稚貝を放流したり、物流に携わる人のおかげで、ぼくらはお寿司が食べられる。
(まあ愚痴ってしまったのでバランスをとるためにきれいごとを言ってみた)(まあ利益が出るところには必ずだれかやって来てやるのが経済だし、それは動物だけでなく細菌まで含めた生物の本能なのだけど…)(今日はもうだめだ…うそがつけない…・ω・;)
でも人類の生き残りまで考えると、仕事をするだけが偉いわけではない。
もし世界70億人が、日本人と同じくらいのがんばりで働いたら、地球の寿命はあっと言う間に尽きるだろう。
同じ生きるにも、働いたり地球を開拓したりする欲求を持たない、働かない人たちの役割も、仕事をする人たちと同じくらいきっと大きい。
たとえばベーシックインカムの時代になって、ほとんどの人が働かずにのんびり暮らす社会になったら、世界が抱える様々な問題はまとめて解決してしまうかもしれない。
どこで聞いたか忘れたけど、これからの人類のテーマは「労働からの解放」らしいが、心から同意する。
働かないでいい人が増えると、まず子供の育ちが良くなる。
今まで外へ向かっていた親の関心が内へ向けば、子供たちが心の欠乏感を抱えることが減っていき、子供たちはぼくらの世代が苦しんできたような正体不明な無限の欲望に悩まされるようなことがなくなっていく。
母親だけでなく父親もいつも家にいる家庭では、子供の心はどう育つのか?…興味深い。(うちがそうだが)
そういう満たされた新しい世代は、働いて働いてお金や資源や自己重要感を大量に獲得~消費しなくても、ベーシックインカムさえあれば生活だけでなく心も十分に満たされて生きられるようになる。
逆に心が満たされない間は、ベーシックなレベルのインカムではたぶん足りないから、ベーシックインカムの仕組みはうまくいかない気がする。どちらが先かは難しいけれど。
お寿司をできれば毎日食べたい、心が飢えた(腹ではなく「心」がね)親の世代は手遅れかもしれないけど、
次の世代はそうやって基本的な幸福感が増えるほどに、無理やり働かなければならない焦燥感ような動機は減っていく。
(だからいま親な人は、自分は仕事時間を減らすことで多少経済的に無理をすることがあっても、子供に関心=愛を注ぐことを優先した方が、結果的に自分も幸せになれるとわたしは考えています。まあ一種の賭けではありますが…)
Aiやロボットが人間の代わりにほとんどの仕事をしてくれるようになるころには、
「仕事がすごいね」は「魚釣りがうまいね」とだいたい同じくらいの価値になっている。
~近い将来の世界~
お父さん「今日は鳩を10羽も捕まえてきたぞー!今日はごちそうだー!」
家族「あ…ありがとう…。でもねおとーさん…、鳩はもう捕まえなくていいのよ…。食べきれないし、子供たち鳩のお肉食べられないし、なによりかわいそうだから…、つかまえるのはたまにだけにしてあげて…」
お父さん「なんだとー!おまえたちのためにせっかく働いてきたのにー!」
家族「おとーさん、でもね…、もう働かなくていいのよ…。ベーシックインカムがもらえる時代になったんだし、人口鶏肉もAIとロボットが作ってくれるのよ…。そしてそのAiとロボットもAiとロボットが作ってくれるのよ…。だからお願い…、家でみんなで穏やかに暮らしましょう…」
お父さん「で、でも、おれは一国の主なんだから…!そして狩り組織の中でもおれは偉いんだぞー!!!」
家族「あなたすごいのね…。でもね…とても言いづらいんだけど…そういうのももう…ないのよ…」
子供「あのねーぱぱー、最近『偉い』って言葉が辞書からなくなったんだって。学校で習った!晴」
…と、こういう時代は意外とすぐそこまで来ているかもしれません。(嗚呼…男に生まれるってたいへん…悲)
とりあえずは今はコロナだから、働かない価値について考えてみる機会に、個人的にはしています。
今回、がんばって働くことが絶対的な善ではないことが体験できたのは、身を削ってがんばる滅私奉公だけが善!みたいな単細胞…単一的な思考でがんじがらめだったぼくら日本人にとっては、目が覚めるような体験になった気がします。
本音では無駄だなあ…と思っていた仕事を思い切って削減して、そして地球を救うには、とくにNOが言えない、空気に逆らえない日本人には、コロナくらいのショックが必要だった…
進化の神さまの意図は、きっとそんな感じではないかと思います。
ふだんの人間の脳は、「欠乏感をどうやって満たすか!」という自動的な思考(というか感情)でいっぱいです。
でも「どうやったら自分の中の自動的な欠乏感を減らせるのか?」を意識的に考えることは、ほかの動物や細菌にはできない、人間ならではの思考です。
もっとがんばると得られる幸せの量と、そもそもの欠乏感を減らすと増えてしまう幸せの量では、同じ量を得るにも後者のほうが圧倒的に簡単な時代が突然やってきてしまった…
こういうことはきっと進化の神さまによる設定変更ではないかと思いますが、
仕事を真剣に考えすぎてきたような人は、少しくらい矛盾してもいいから、このくらいいったん壊して考えてみるだけでも、人生の見え方が変わってくるかもしれません。
楽しそうに仕事をする人と言えばわたしの中ではこの人↓
この人は人間のダークサイドのパワー(生存競争のパワー)を使わずに、こんなスーパーカーを買えるようになった!
(というかダークサイドがほぼない新しい世代なのかも。ご両親はどんな人だろう…)
同じ成功への道でも、一世代新しいルートだという気がする。
いつも動画の更新が楽しみ。ありがとう!
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