新「金さえあればいい」理論〜その2(ビジネス編)

大企業をみていると、商品を改悪するケースは多いイメージ。

女性はそこらへんにとても敏感で、「あー!またこれ中身が小さくなってるー!(おこ」というような嘆きをよく聞く。笑

 

過去に欲に駆られて改悪に没頭したことがある立場から想像すると、笑

そういう企業には本当の意味で「自分事(ごと)」としてやっている人が社内にいないのかも…という気がしてくる。(いたらそうはならないだろう…と)

部下は上司に言われたとおりに利益を出すために品質を下げ、それなのに値段を上げ、さらには取引先を根切る。

上司は、さらにその上司に言われた無理難題にYESと対応しているだけ。

そうするとお客さんは「あーこの会社はわたしの顔がお金や数字にしか見えないんだなあ…」と感じ、取引先も良い素材をまわしたくないという気持ちになっていったりしても、

社内の誰もそんなことにかまっているひまはない。みんな自分の当面の保身で精一杯。

 

お客さんが虚しくなって離れ始めるほどブランドイメージの悪化が進んでも、社内の誰も会社のブランド価値の保持(ほんとはできれば「向上」なのに)に興味がないとき、

上司の脳内は、たとえば「部下が自分の言うことを聞いたか?」というような思考でいっぱい。

そして部下も、取引先を負けさせるくらいしか心の楽しみがない。

それはさらにエスカレートし、「自分をリスペクトして欲しい」「自分に関心を払って欲しい」と…どんどんメンタルの問題になっていっても、

表面的にはそれも「仕事」、「プロジェクト」。個人の保身や勝ち負けなど、成果とは関係のない「気分」が「仕事」。

それでも売れているうちはまだいいが、

言い方を変えると、先人が創ったブランド価値の貯金を、個人のその日のいい気分くらいの承認欲求のために切り崩している状態…と言える。

 

また改悪の奥には、深層心理的にお客さんに対しての「精神的な勝ち」を求めるエゴがいることも多い。

そのブランドのファンは、本当は量が減るのも値段が上がるのもOKでも、騙されたような気持ちになるのは、当たり前だけどイヤ。

そのときにお客さんが失うものは、量が減った分の3円…というよりも、実はなかなかの額の「心のお金」。

主婦はその「心が負かされること(心のお金を騙し取られること)」に怒っている。

その負かされた分のお金はどこへいくかというと、会社の帳簿上の利益というよりも、そこに関わる個人個人のエゴの「いい気分」。

結果的に、そんななんの実利もないつまらないもののためにブランド価値を失うことがあるのだから、ビジネスのメンタル問題はたちが悪い。

経営者は自分自身がそうやって成果よりも気分重視のエゴに乗っ取られないように気をつけることはもちろん、従業員全員がそういうつまらない快感の亡者にならないように気を配る必要がある。

そのためには、上司が上下関係を使って部下の心のお金を奪うようなことからしてやめていく必要があったりと、根本的な解決を考えるなら先は長いが、

社内で監視しなければならないリストが膨れ上がっている場合は、このあたり(とくに上司のエゴの暴走)をチェックしてみる必要がある。

 

自分で書いて「なんてひどい話だ」と思うけど、でも逆にこのくらいひどい悪循環でもないと、改悪を改良と言い張るようなメンタルに人間はなれない気がする。

昼間内実改悪の仕事をして、夜家に帰って愛情溢れる良いお父さんになるのは、なかなか難しいだろうと思う。(ほんと辛かったなあ苦笑)

 

 

一方で、個人事業主はなかなかそうはならない。

というか、なれない。

それは個人の人柄というよりも、仮にやろうと思ってもなかなかできるものではない。

目の前のお得意さんが幸せそうに食べているのに、その量をこっそり減らすとかは、ふつうのメンタルならなかなか難しいし、

そんな感じの店が残れるほど、個人事業主の世界は甘くない。

量を減らしたり値上げをする必要があるときには、張り紙をしてそう正直に言う。

少なくとも、それがまるで「改良」であるかのような嘘はつかない。

友達相手にできないようなことは、お客さんにもやらない。

人間とは、個人的な話でなくなったとき、簡単にダークサイドへ落ちることができるものだと思う。

だれがわるいという話ではなく、ぼくらはそういう生き物。

そういう意味では個人事業主という「仕組み」は大変ではあるけれど、罪悪感が正常に働くので、人間性においては中長期的にみるとサステイナブルだなあと思う。

 

 

安定した事業にするためには、ブランド価値があればいい。

現代のブランド価値とは、個人の心の中にある信頼感。

たとえばエルメスは革や縫製を節約したりすることはあり得なそうだから信頼できるし、ユニクロは見方によっては別の意味でそれ以上のブランドだし、池上彰さん個人にはBBC全体に負けないくらいのブランド価値=信頼感がある思う。

今それがすでにあるならそれを守り、できれば拡大したい。

今はまだないなら、それを造り上げることが最優先。

値下げをしてそれで今季の業績が良くても、ブランド価値が下がったのなら、それはマイナスの仕事。

値上げをしてそれでコスパを求めるタイプの消費者が去っても、価値を上げたことでファンがさらにコアなファンになってくれて利益率が上がったなら、それはプラスの仕事。

起業したばかりでだれもまだ価値を体験していないのに敷居が高すぎるのは、毎日無意味に固定費が出ていくので、マイナスの仕事。

コスパや滅私奉公さだけで買われている場合はそれはブランド価値とは言えないので、プラマイゼロで時間だけが過ぎたタイプの仕事。もしブランド価値を上げていた場合の機会の損失も含めて考えるとマイナスの仕事かも。

部下がたとえ無礼でも、ブランド価値の向上のための主張なら、それは社内でも貴重なプラスの仕事。

生意気を言われるのが嫌で、それを上下関係で封じたら、それは超マイナスの仕事。

さんまの塩焼きを綺麗に食べなかったことで店主のお父つぁんにお皿を突き返されても、そこに魚やお客への想いを感じてしまうと信頼以外の感情はなくなり、巷のどんな一流グレードのサービスとも同じ比較のテーブルには乗らなくなる感じは、

多くのお客さんの心の中で殿堂に入れられてしまうような、ブランドというお安めの言葉では紹介できない、人類全体…どころか地球にとっての価値ある生き様。(わたしが独身の頃に世話になった愛するお店のことね笑)

 

 

話を戻すと、

冒頭の例は一般的にはお金を追い求めているように見えるけど、でもそういうときの自分を深く内観してみると、実は自分はお金よりも気分のほうが大事

そんな目先の損する気分や恐れに負けずに、目先のつまらない獲得や勝利などのいい気分の誘惑に簡単に負けずに、本当の意味で合理的に「お金さえあればいい」と思えたら、

目先の気分よりもブランド価値=本当にお金が入ってくる選択のほうが大事だと「思考」することができる。

するとエネルギーが気分へと漏洩していかなくなるので必然的に事業は安定し、ブランド価値という地盤が固まれば、伸びしろも安全に拡大する。

 

こんな感じが今の時代にも安心安全な、新「金さえあればいい」理論。(~会社経営編)

これは綺麗事のつもりはなく、中長期的に最も楽な仕事の仕方だと、本気で思っています。

 

 

(関連コラム)

新「金さえあればいい」理論(心編)

 

 

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ブランド価値がベースにある事業は、事業の規模が大きくても小さくても、今の時代安定していると感じます。

そして現代のブランド価値とは、ソフトな見方をすると、売る側の個人の本音に惹かれたお客さんによる信頼感のことで、必ずしも資本力の話というわけではありません。

うちの子は、たとえばYOUTUBER数人にテレビ業界全体よりも楽しさとあとは情報への信頼感を感じているようだし、(実際にそれを観ることに自分の時間を使っているからわかる)

ローカルな話では、たとえばわたしが長年通っていたパン屋さんは古くて小さなお店だったけど、そこのご主人は自分が満足するパンを焼いている感じで、わたしにとってはそこ以外の選択肢は長年ありませんでした。

おしゃれとはほど遠く、とくに安いわけでもなくキャンペーンも新作もないその店に行くと、わたしと同じように感じているであろうお客さんでいっぱいで、いつも午前中には売り切れていました。

そのパン屋さんが引退で閉めるとき、家族でとても悲しみました。

商売的に振り返ると、そのお店のリスクはもう健康とか天災とか政治情勢くらいで、商売自体については極度の心配性のわたしでも少しの心配の感情も感じなかったのと、

あとはキラキラした話とは別の次元の、最後の最後まで残る商売とはどういうものなのか?という本質を教えてもらった気がしました。

あとは大きな話では、スティーブ・ジョブズが去ったあともぼくらはiPhoneの購入を通して彼に投票しているような気持ちだし、今ならイーロン・マスク個人に資金を託すような気持ちでテスラの株を買います。(そして豊田章男さんのトヨタも買う!でも逆にずっとファンだった日産やホンダ株は今は顔が見えなくて買いたくても買えず残念…初代NSXのころのホンダの心をなんとか取り戻してくれ~応援してます!)

ブランド価値とはこのようにどんどん個人単位+その個人の本音になっていっているなあと思います。

 

一方で、人工的なブランド戦略は、

お客さんの方も、さらにお得だったり、またはさらにおしゃれだったりといった自己重要感をより上げてくれるものを見つけた瞬間に、飛び移る気まんまんです。

そんな移り気な消費者に一時的に支持されているだけの場合はそれはブランド価値とは呼べず、(わたしも商品によってはその1人)

そういう仕事はまるで波打ち際に造る砂の城のように不安定で、無駄に忙しいものではないかと思います。

大企業は悪事の罪が社員の数だけ分散されるからまあ大丈夫だろうけど、(冗談ですよ!笑)

架空のブランド戦略は不安定で危険なので、中小企業がやることではない…と個人的には思います。

 

 

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そしていつも通り…

最難関は、お金さえあればいいわけではないケースです。

「わたしが欲しいのはお金じゃないんです」というようなことを言う人は、心が重症な可能性があります。

 

たとえば、これはいつも言おうかどうかを迷うことなのですが、でもあのさんま塩焼きの件を自分なりに真似てあえて言うと、

自分がスタイリッシュに見える起業を目指すケースは、ふつうにやるよりもずっと難しく感じます。

というのも、自分が承認を受け取るためにやるのか、相手に価値を与えるためにやるのかでは、方向が真逆だからです。(滅私奉公すればいいという話ではないがそれは別の機会に)

たとえば立地やロゴや内装のかっこよさにはものすごくこだわるけど、肝心の提供するサービスにはあまり興味がない…というような起業はとても多いイメージで、

そういう相談を受けるといつも、傍からみると傷つくのが分かりきっているのに惹かれていく若者の盲目的な恋愛をみているようで、怖くなってしまいます。

とはいえそういうリスクを自覚するのはとても難しいもので、わたし自身もそういう意味で派手に失敗してきたタイプ(恋愛でも商売でも笑)なので、

起業が失敗する最多要因は「承認欲求問題」ではないかと、個人的には強く感じています。

 

事業が成功するためには、承認欲求をひとまず置いておいて(←ここ大事。でも否定してはいけない。あとで使うから)

自分がやりたいことと相手が受け取りたい価値がマッチするように、ドライにビジネスプランを練る必要があります。

ちなみに昔はお客のニーズだけを考えればよかったけど、今はそれが自分がのめり込んでいることでないとブランドにはならないので、

ネガティブな意味で利他的になりがちなタイプの人にとっては、難易度は上がってしまいました。

がんばっていることの8割が無駄だと認めると楽になれる~ネガティブな利他主義を卒業しよう

そして置いておいた承認欲求は、良いものをさらに広めるために、インディーズに留まらずに綺麗事を捨ててメジャーまで行くような目的のために、意図して使います。(表現が90年代ですいません)

あとはもちろん承認を得ることによる快感も、成功したあとのご褒美として、二番目の目的として、意識しながら存分に楽しめたら健全ではないかと思います。(そうしないと誰にもメリットのない「清貧」で終わってしまう)

 

 

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しかし人生とは不公平なもんだなと思うのは、育ちが承認に満たされた人は、この問題自体がないことです。

「この起業はなんだか成功が約束されているみたいで安心だなあ」と感じるときは、わたしが好きだったパン屋さんのように、その人が承認の欠乏感からではなく自分がやりたいことをやろうとしているようなときだなあと、よく気が付きます。

一方で育ちがいまいちな場合は、客観的には10周遅れくらいでスタートするイメージで、そんなスタート位置から消費者目線になったり中長期的な視点になるのは、とても難しいものです。

承認欲求の欠乏は人生ではそのようにとても不利だけど、逆に意図的に活用することができればロケットエンジンのようになることもあると思います。が、それは今回は置いておきます。し、現代ではそれは古い手法になりつつあるかもしれません。

 

 

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かつてこんなことを考えていて、

するとまず心がざわざわしてきて…

どんなに上等な教育を受けさせようが心が10周遅れではさすがに厳しいだろうという気がしてきて…

子供に「勉強教育」なんかしている場合ではない!となっていき…

そして自分はちゃんと子供の自己肯定感の満たせているだろうか?と心配になっていく…

それなのに、

子供のそれを満たすためには→どうやら自分が満たされるしかない…という結論に行き着いてしまい…

自分の欠乏感の大きさを自覚してしまい…目が覚めてしまい…

そこから本当の混乱が始まった…

 

いやあ40代…苦しかったなあ。苦笑

いやあ40代は苦しかったなあ

 

 

…といつものようにどんどん話がずれていくわけですが…笑(わたしの中では、ずれてはいないのだけど)

要するになにを言いたかったのかというと、

極端に言うと…お金の反対は承認で、お金がほしいと言いながらも無意識に承認を選んでしまっている人には、

まずはとにかくドライに「金さえあればいい!」になってほしいなあ…

という話でした。

問題の大元の承認欲求問題については…

↓↓↓に託します!

 

 

 

↓育ちがいまいちだった人が、令和の時代に幸せになるために見るべきドラマ。

(AppleTV+で観れます。日本語トレーラーは見つからなかった)

個人的に「学べるドラマ」のトップ3に入る作品を見つけてしまいました。

こうなれたら幸せだなあ…という仕事の仕方の最先端を学ぶことができると思います。(ドラマだけにまだ理想論かもしれないけど、よくできた創作物は現実よりも少し先を行くものだと思うので)

しかもコメディなので笑いながら!

本当の意味で成果を得るためには、核心の部分から(往々にして最も遠いところから)着手するのが結局は一番の近道。

というかそこから始めなければ根本的な解決も本当の成果もない。

そして実はそのプロセスのほうが、人間が生きる目的(=進化)なのかも…

…というようなお話かなと思います。

以前おすすめした「This is Us」は「育ち」をこれでもか!と掘り下げるけど、これは育ちと仕事をつなげてくれる感じです。

2作品全話観るにはかなりの時間が必要ですが、

この2作品は、子育てでもマネジメントでも自分への理解でも、一般的な方法論の方向では一生学ぶことができないような気づきを与えてくれると思います。

おすすめです。

創った人たちすごすぎる。尊敬心がやまない…

 

 

 

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