いやあ40代は苦しかったなあ

育ちのネガには、40代で直面することが多いと思います。

問題がある場合、10代や20代ではわけもわからずに荒れるだけだし、30代は生きていく道を模索するのに必死だったりと、

自分の心と向き合う時間は、若いころはなかなかとれないものではないかと思います。

ウィル・スミスも、40代は仕事やそして主に子育てを通して自分の生まれ育ちと向き合ったそうですが、

デンゼル・ワシントンに「40代は苦しいけど50代は最高だから心配要らない」みたいなアドバイスを受けたそうで、なにか一皮むけような感じになっていました。(AppleTV+のオプラ・ウィンフリーとのトークショーで観た)

 

 

個人的にも、30歳あたりで何かがおかしいような気がしはじめてから、40代で本格的に自分と向き合うようになりました。(それまでもおかしいことは分かっていたが、それは成功すれば治ると思っていた)

母とうまくいかなかったことが大人になってからの人生に大きな影響を及ぼしてきたようなことも、30代ではまだ漠然と苦しいだけで理解することはできませんでした。

40代になって過去と向き合えるようになると、幼少期から感じてきた罪悪感や無価値感を認識できるようにはなったけれど、だからといってどうすることもできないような日々を送りました。

母はうつと病気ではやくになくなったんだけど、自分もその年齢になると、暗い意味ではなく意外とドライに、自分の人生の終わりについて考えざるを得ませんでした。

 

いったん自分の限界を意識してしまうと、いろいろなことがどうでもよくなるもので、

子供たちが自分のようにならないことだけは常に気がかりだったけど、それ以外は、たとえば仕事や友達付き合いなんかも、それまでのようにはがんばれなくなってしまいました。

友達やお客さんには申し訳ないなあと思いながらも、まあこの自分でOK…という人とだけやろうと思い、実際にそれしかできませんでした。(その代わりに限られた時間で超省エネでビジネスをする感覚は得られたが)

20代はいくらでも誰よりもがんばれることが最大のウリだったのに、とくに40代に入ってからは、そのがんばることができなくなり、とても混乱しました。

 

 

そしていま49歳で、なにが変わったわけでもないんだけど、なぜか気が楽になってきて不思議な感じです。

このブログで書いてきたようなことは、今読み返すとネガティブ過ぎない?と思うこともあるのですが、でもまあ書いたことで楽になった面もあったなあと思います。

50代がデンゼル・ワシントンの言うように軽いものになったら、40代にも意味があったように思えるだろうから、そうなれたらいいなあと思います。

大きな流れは自分でコントロールができるようなものではないことは十分に身に沁みたので、身を任せるしかないですが、

でもまあそうなりそうな予感があって、最近は50代が楽しみなのです。(とくになにも目指すものもないなにかご褒美タイムのようで気が楽)

 

 

 

最近同じ49歳がやたら目に入ってくる…↓

この人大好き。不自由な中に自由を見つける感じがとても参考になってたすかる。めんどくさいだろうに表に出てくれてありがと!

(でも、ヒロシは怒らないと思うから正直に言えば、自分が「がんばっていた」ころはそのネガティブな感じが苦手だった。自分のそんな感じ方自体が変わって、今はとても不思議な気分)

 

 

 

Yusuke.Yokohamaサービス一覧

<経営コンサルティング>
経営者が自由になれるための仕組みづくりがコンセプトです。実務のサポートも可能です。
中小企業経営コンサルティング

<個人向けマインドフルネスコーチング>
自分の動機の出どころを理解し、自分の本質とエゴの両方を活用できる観点を見つけます。
マインドフルネスパーソナルコーチング

OFUSEで応援を送る

コメントを残す