浮気が心配という感情から解放されるための8つの思考

「浮気が心配」という感情は、一言で言えば自分の中の古い部分の脳の活動です。

昔、狩りにでたオスが巣に帰ってこなければ、それは自分や子供にとっては一大事でした。

だから、女性に生まれ女性として生きるための遺伝情報をもとに作られた脳が、オスの行動をコントロールしたいという願望を持つことは、ごく自然なことです。

けれども、現代は状況が違うので、必ずしもオスの行動が自分の生き残りを決めているわけではありません。

男性の行動に対する漠然とした嫌悪感や恐怖感から一歩でも出ることができれば、実はいろいろな好ましい選択肢があることに気がついていくことができるかもしれません。

自分の選択をする

日本の女性は古い慣習から、男性の意思を優先する機会が、女性自身が思っているよりも多いと思います。

でも本当は選択の権利は同じだけあって、世界は確実にそちらの方向へ向かっています。

だから、なんでも男性次第と思う必要はもうなくなってきています。

わたしの親友の女性は自分から男性にプロポーズし、結婚してからも家を主導しているけれど、とても新しいなあ、自然だなあ、と個人的に感じます。

浮気の心配とは、選択権が相手にしかないと錯覚するような恐れのことでもある、と言えます。(※お別れを勧めているわけではありません。笑)

餌さえもってくればいいわけだよね、と超合理的に考える

「浮気がいやだ」という嫌悪感や恐怖感のような感情は、冒頭に書いたように人間の女性の脳はそういう設計なわけだから変えられないのは仕方がないにしても、思考を選ぶことはなんとか可能かもしれません。

そもそもそれらの感情の生物的な目的は、「オスがもってくる餌」だったはずです。

そう理解できれば、「要するに餌さえもってくればいいわけだよね」というような合理的な思考を選択することも可能になるかもしれません。

現に、男性をたてながらも力を失わずにたくましく生きてきた日本の女性は、「亭主元気で留守がいい」というような芸術的な仕組みも作り出してきました。(なにかのCMだった?)

オスが持ってくる餌を当てにしない、自分が狩りに出かける

オスにしか稼げなかった時代は、強さによる勝ち負けの価値観くらいしかなかった古い世界でした。

でも現代は、強さだけが収入の大きさを決めているわけではありません。

新しい時代では、面白いものや楽しいものや優しいものや温かいものが、力や競争に強いだけのものをしのぐ勢いで求められたりしています。

だから男性にしか稼げないというのは、古い思い込みと言ってもよくなりつつあります。

もしかしたら、女性のほうがたくさん稼げることが当たり前というような時代は、すぐそこまできているかもしれません。

ちなみに、女性のほうが男性よりも稼いでいるカップルは離婚になる確率が低いというデータもあるそうです。

浮気をしたい男の願望も、浮気が許せない自分の感情も、どちらも同じくらい動物脳に過ぎないと理解する

浮気がちな男性は、強さや獲得することに執着する動物脳が優勢だけど、そういう男性をいいと思った自分も、自分の動物脳がそういう要素を強く望んでいるのだということを、自分で理解します。

自分の人間脳は平穏で温かい家庭を築きたいと願っているのに、動物脳は強くて狩りがうまそうな男性が好きなわけだから、大きな矛盾に苦しんできたわけです。

恋愛とキリストの言う愛は、実はなんの関係もなさそうだ…というのは、みんなうすうす気がついていることです。

そんな恋愛感情とは、いつもなにかを獲得することを目指している、自分の中の動物脳が生み出す感情です。

ある科学者が「人間には恋愛は将来的に必要なくなっていく」と言っているのを聞いたことがありますが、なるほどそうかもという気がします。

浮気の心配がない男性とは?

勝ちたい願望、承認願望、ふつうの性欲、幸福を求める願望が、脳内で健全に区別されているような男性は、浮気の心配はありません。

そういう男性にとっては、浮気は意味のある解決策にはならないからです。

浮気が心配なのは、それらの願望が混ざってしまい、それらをまとめて「漠然とした欠乏感」として感じてしまっているような場合で、

とくに、そんな自分の欠乏感に、自分で気が付いていない場合は危険です。

さらに自分側にも同じ欠乏感がある場合は、お互いの中の欠乏感同士が「わかってもらえる」という理由で無意識にも惹かれ合ってしまうので、欠乏感を抱えた同士でカップルになってしまうことがあります。

そうなってしまうと、結果的には相手を満たすことができない(自分のほうが欲しい、本当はあげれるものがない)現実に直面し、相手が去るかもしれないという心配に取りつかれてしまうのです。

次は新しい感覚で選ぶ

「次の機会」があるなら、古い感情ではなく新しいセンサーで相手を選びたいです。

古い感情は欠乏感がベースです。

欠乏感がベースだと、その欠乏感を一時的に満たしてもらえることを快感だと感じ、それをときめきとして、またずいぶん飛躍して「愛」だと考えたりしてしまうものです。

けれども人間脳の幸福感は、必ずしも欠乏感がベースとはなりません。

一緒にいると刺激的(なにかを獲得して欠乏が満たされる快感)という感情はとても魅力的です。

でも、求めている幸福感とはあまり関係がないという点で、トリッキーです。

一方で「一緒にいると楽しい、落ち着く、楽(らく)」というような感覚は、幸福感への新しい道しるべになるかもしれません。

そもそも結婚自体の意味が変わってきている

これも恋愛不要論と同じく最近よく聞く話ですが、結婚制度もそんなに遠くない将来にはなくなるかもしれないそうです。

結婚制度は愛というよりも男女双方のニーズ…、というよりも恐れが生み出したものだと思いますが、今後恐れが解決していくならあまり意味をなさなくなっていきます。

あくまで個人的な印象ですが、最近の若い世代のカップルは、昔に比べてなんだか落ち着いているなあと感じることがあります。

わたしの世代(40代)以上は、お見合い時代からの反動なのか、恋愛がまるで自由の象徴であるかのようにもてはやされた時代だったと感じます。

でも30代以下の若い世代の夫婦は、もともと友達としてもやっていけそうなカップルが多いように感じたり、

また先ほどの説をずいぶん先取りして、結婚はしないけど一緒にいるというカップルや、あとはそもそも結婚に興味がないという人などもいたり、

(もう少し大きな話としては、子孫を残すことに興味がないという人は人口爆発から人類を救うための新しいタイプの脳かもしれいないとか、種の進化のために必ずしも遺伝子を通す必要がなくなってきている、など)

いろいろな考え方の人がいて、結婚への考え方は速いスピードで変わってきていると感じます。

(まとめ)浮気が心配は新しい幸福感を探している自分からのサインかも

「浮気が心配」は、古い時代から続く生存競争における根源的な恐れをベースとした感情です。

そして、そういう競争に勝ったときに感じる一時的な満足感や、その競争が落ち着いているときに感じる安堵感を、これまでは「幸福感」だと考えることがありました。

でも、あまりにも勝つことにこだわるあまり、そこには「本当に自分が欲しかったのかどうか?」という検討は、実はあまりありませんでした。(※お別れを勧めているわけではありません。笑)

男女関係に限らず、人間関係の感情問題に直面している人というのは、そういう恐れの解決というだけではない、なにか新しい感覚を探しているのかもしれません。

 

 

男女の関係が日本と似ているかもと感じるインドの映画。
夫婦ともにいろいろな発見をする温かい映画でした。男女ともにおすすめです。

 

 

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