自分の時代の危機感はあまり子供の役には立たないかも

自分の親の世代の危機感は自分には役に立たなかった、と思ったことはありませんか?

 

わたしが学生だった頃(昭和の終わりころ)は、みんな本当に同じでないとだめだった。

制服の着方から髪型までいろいろとルールが決まっていたし、並んだ列から数センチずれることもだめだった。

質問されても答えがすでに決まっている感じは、個人的にもとても窮屈に感じた。

 

だけど皮肉なことに、今ではなんと個性の時代になってしまった。

なんでも言うことを聞くいい子で育った人ほど、新しい時代には苦労している。

アップルやグーグルの面接で「言われたことをがんばります」なんて言ったら絶対に受からない。

商売では高性能でもつまらないものは売れない。

美味しくても楽しくないラーメンにはだれも行列しない。

しっかり自己主張ができないと存在にすら気づいてもらえない。

もしこんなに個性的な時代になると分かっていたら、きっとあのときの大人たちも、もっと自由にさせてあげようと思ったかもしれない。

 

今の子供たちが大人になるころには、また大きく変わっているだろう。

なにがどうなるかなんて、もう予想は無理。

しかも変化のスピードは、インターネットのせいで?おかげで?昔よりもずっと早い。

こうなると頼りになるのは、新しい世代が持っている新しい遺伝子だけ。

そこには改良された、未知の未来に対応が可能な真新しいプログラムが、たぶん用意されている。

 

そのプログラムはぼくら旧型には理解ができない。

だから子供を見ていると怖くなることがある。

あー、あのときの大人たちもこうだったんだ、怖かったんだ。

だから自分が知っているすべてを必死になって教育しようとしたんだ。

今ごろ気が付く。

まあそれほどの危機感があったにしては、親の世代以上はなぜか振り込め詐欺にばんばん引っかかったりして、

ぼくらの世代が持っているような新しい種類の危険センサーはついていないんだな、ということもわかる。

 

そうすると、もう一つついでに気が付くのは、ぼくら大人が子育てで躍起になっていることの少なくない部分が、将来無意味になるだろうということ。

歴史は繰り返して、むしろ害になってしまうかもしれない。

子供が持って生まれた最新型のセンサーをだめにしてしまうかもしれない。

将来大人になった子供たちに、「あの時代の大人たちはおれたちにとっては障害物以外の何ものでもなかったよ」とか言われてしまうかもしれない。

もしかしたらある日突然脳が進化して新しい世界になり、

ぼくらが教えた競争することや勝つことや、村に残れるためにいい人になる術なんかもぜんぶ過去のもの…

なんてこともあり得るかもしれない。

 

大人が自分の恐れからがんばってしまう教育は、むしろ子供の足を引っ張っているのかも。

どれだけ力を抜いて子供自身に任せられるか?子供自身の嗅覚を信じられるか?

そのあたりがぼくらの世代のテーマなのかも。

新しい時代を頼んだよ、おれたちの脳はバージョンが古いんだから、くらいの姿勢でいいのかも。

 

…だとしたら気が楽だなあ。

でも本当にそんなもんだったりして。笑

 

 

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