子供の育て方は心配するほど重要ではないようだ

こんにちは。子育ての相談がなぜか多いビジネスコンサルタントです。笑

 

うちの子が○○なのは、わたしの育て方のせいでしょうか?

このような相談を受けると、わたしはたまに不謹慎なことが頭に浮かぶことがあります。

でもわたしは子育ての専門家ではないので思ったことを無責任に言ってしまえば、笑

「それ、子育て関係ないかもよ」
「遺伝の話。以上。かもね」
「というか、いろいろどうであれそのままでべつによくない?」

なんて思ってしまうことがよくあるのです。

子育てノウハウのような話をたくさん書いておいてなんですが、

子育ての細かいことは考えても無意味!と思うことも実は多いのです。

 

一方で、子育ての悩みは、親本人の問題解決にはとても役に立つなあと感じることは多いです。

振り返ってみると、もしかしたらその例外はないかもと思うくらい、「親のために起こっている」と言ってもいいくらいかなと思います。

それはどういう意味かと言うと、子供は親に元気であってほしい!ということです。

そしてそれは子供が自分が安全に育つためです。

それを甘い感じで言えば「子供からの愛」ということになると思いますが、

突然ものすごいことを書きますが、

将来、人間の安全な育ちが完全に担保された未来の世界では、現状ぼくらが言う情に近いタイプの「愛」のような仕組み(キリストのいう愛とは異なる意味の)は、

もしかしたら脳内で不要になっているかもしれません。(SF過ぎ?でもそちらの方向へ向かっていると思う)

だからその仕組みがまだある今のうちは、子育ての悩みは親に癒やされてほしい子供の愛だと思ってありがたく受け取り、

まずは自分が癒やされることに専念したほうが、かえって子供のためかも…なんて思います。

元気休みでーす!のススメ

 

子供の教育をがんばっている人には申し訳ないですが、子供の特性は遺伝情報がほとんどを決めているようです。

そしてそれは親の心がけ程度で影響を与えられるようなものではないというようなドライな説も、最近では科学寄りな文章にほど見かけます。(なんでも親の責任だと言いたい子育て本のほうが圧倒的に多いが)

わたしも子育てが終わってみて、たしかにそうかも…と個人的にも感じています。

子供の在り方のすべてを背負う必要はない

 

 

これまでは強いものが勝ち残ることが進化でした。

でもいま人間は次の段階にチャレンジ中です。

次のレベルの進化とは、弱肉強食の仕組みに依らない進化を、思考力を使って選んでいくという新しいチャレンジです。

目的は、今後どんなタイプのピンチに見舞われても、全体の中のだれかが生き延びられる…というバリエーションを確保することです。

これまで重要だったのは、勉強で勝つとか、競争で勝つとか、出世で勝つとか、でした。

でも、これからもそれでいいの?強くて元気な人が走り回った結果に地球も人類もちょっとピンチなのに?…と、

これまでは弱さでしかなかったような遺伝情報にももしかしたら人類の生き残りにおける別の意味があるのかもしれない…というような想定を意識的な思考によって行い、

生存競争を超えたレベルで生き残りを目指していくような方向性です。

 

これまでは弱さを守るといえば、優しい者が本能的に護るくらいでした。

でもこれからはそれに加え、脳力が高いタイプが高いレベルで思考することで全体として戦略的にリスクを減らしていくために行う必要がありそうです。

それを超がつくほど脳力が高い人が行えば、

ものすごい計算の結果、「すべてのリスクを想定するのは不可能!」という結論に至って、

「よく分からないけど念のために全員の特性を護っておかなければ!」となるだろうと思います。

一言で言えば多様性ということになると思いますが、それが時流だからとかかっこいいからというよりも、すでに現実的にも必要になってきているようで、

アメリカの超最先端な企業では、短期的な成果やコミュニケーション能力というような古い評価基準を見直して、分かりにくいけれども希少な価値や中長期的な可能性の見つけるための夢見る能力、それから未知のリスクへの備えとしての多様性などにも目を向けていこうというような議論も始まっているそうです。

 

最近は子育てでも、均一的に育てるのではなくもって生まれた個性を伸ばそうという空気になっていますが、

それがたとえ表面的な親の成功願望だったとしても、その奥の無意識の領域では、生命の総意としてのそんな万が一の際の生き残りのための意図もすでに動いている気がします。

子供が生まれたらアップルウォッチで声の大きさと気の強さを測って、それらが小さい人には発言権も選挙権も2倍にするなどの柔軟な政策も、これからは必要かもしれません。(←わたしはだめだな。もっと頭のいい人たのんます笑)

 

 

ぼくらの人生のほとんどを決めているのは、相変わらず「生まれ=遺伝」です。

みんなこれは自分のすごさだ!と言いたいものだけど、今自分がどんな人間か?はたぶんほぼ100%運です。

人間の人生を、途中までの成否ではなくちゃんとご臨終まで調査すれば、その運の外側へ出た人はほとんどいないと思います。(まあビッグバンから考えると運ではないことは一つもないので0人とすら言えるかも)

それでも人間はがんばりやさんなので、子育てでも能力を伸ばそうとしたりネガを消そうとしたりと、みんなでがんばって研究しています。

でもそれをがんばりたい親の元に生まれるのは、やはり運でしょう。

そしてそのそのがんばれる性質も、遺伝で受け継いだという運でしょう。

(↓そういうお話)

「そう感じない」というアプローチは結果的にきっと近道

 

周りを観察していると、育ちが悲惨でも強気が消えない人もいるし、一方でどれだけ強く教育されても強くなれない子もいて、

要するになにをどう無理やりがんばっても本質が変わることはない…ということかなと思います。

子育てでできることとしては、少なくとも算数を無料で学べる国と時代に生まれたことはものすごい強運なわけだから、

子供の自己肯定感が下がってしまうようなネガさえできるだけ回避できたら、それ以上のことはもしかしたらないかも…なんて思います。

子供をこう育てよう!みたいなコントロールの意図を含んだこれまでの教育のほとんどが無意味だった…という認識に皆がなる日も、案外近いかもしれません。

 

それよりも、遺伝で生まれもった本質はなにか?ということを、生産性という執着から離れて理解していくことができれば、みな自分らしく幸せに生きられるようになり、多様性によって全体としてのリスクも軽減でき、

その結果自分を守るためのエゴも不要になって、楽になれるかもしれません。

国全体が楽になるにはある程度の時間はかかるとは思いますが、会社レベルや親子くらいにまで限定すればやろうと思えばできそうだし、

自分個人に関してはありのままの自分を認めることは、本気で瞑想すれば今すぐにでも可能です。(まあ一瞬だけだが)

 

 

…と、

わたしに子育ての相談をしてしまうとこんな話になってしまうのですが…笑

子育ての話は、子供を勝たせるなど親の願望を満たすための話か、もしくは子供の在り方の全責任は親が負うべきというような過激な話が多い印象ですが、

まあ悩んでいる親としてはそれがニーズだし、専門家も商売だからそういう論調にならざるをえないのは仕方がないとは思います。

でも自分が親なら「そういうサービスを受けるだけでいいのかな?」とよく感じてきたので、

専門家が商売ではないわたしが、商売のためではなく自分の子育てのために専門家以上に命をかけて学んできたことを書く意味もあるかも…と思って書いてみました。

 

余談ですが、たとえば至れり尽くせりな親のために便利な保育園と、預けられる時間などは少し不便でも真剣に子供の心の成長に向き合っているような幼稚園では、どちらが長い目で見て子供の幸せにつながるか?というようなことも、

幼児なのに算数やバク転がもうできたりなどのものすごい能力教育を行っているような保育園の宣伝などを見ていると、選択権のない子供たちのことが少々心配に感じることがあります。

もちろん親のニーズや下心を満たすことも商売としてみれば悪いことではないとは思うけれども、(←それを「教育」と呼ぶのはどう?とも思うが)

あえて付け加えても、多様な幸せのパターンが生まれつつある今の社会ではへたに子供を能力教育に晒したりせずに、むしろ古い競争によって自己肯定感を無意味に下げてしまわないことを考えていくことのほうが、

何が起こるかわからない未来においても、子供がもって生まれた未知のリスクへの対応力やあとは自己実現や幸せへも直結する、親にできる最善のことではないかなという気がします。

自分の時代の危機感はあまり子供の役には立たないかも

 

 

わたしも子育てが終わってみて思うのは、

わたしが無意味に力まなくても子供たちはこう育ったかも…ということです。(「無意味だったけどがんばったねー」とだれか言って~笑)

要するに、そんなに子育てに必死になる必要はなく、遺伝情報が決定したらもう仕事はほとんど終わったようなものだから、(あとは衣食住くらいのもの)(←それが大変?笑…だから便利な保育園も必要なんだよなあ…分かる!)

あとは自分がありのままの自分を認められることによって、子供にも無意味に干渉しなくてよくなることのほうが、

この文章の最初の話のように、子供も親という足かせがとれて、なれる限り裕福になってしまうなども含めた自己実現がしやすくなるのではないか…という気がします。(下心ももちろんいいさ笑。下心だと自覚さえしていれば)

さらには親も永遠に未熟で不完全な存在に過ぎないようなことも、子供の生命のリスクヘッジプランには相当の余裕をもって含まれているはずなので、自分の親としての出来などはあまり気にしなくてもいいと思います。

 

 

 

インディ・ジョーンズの中で一番好き。

インディパパはまあ一般的なだめな親として描かれているが、

もっと揉めても不思議ではない親子の物語が、なぜか明るく爽やかでとても美しい。

実際にもこのくらいの話かもしれないなあ

…というか、このくらい気楽でいいのかもなあ、なんて思う。

インディはどう育てようがインディになった!!…気がするから。笑

 

 

 

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