昭和生まれの男性のための「若いおサルとの戦い方」

わたしは日本人の上下関係を問題視しているので、昭和の男性は気分をわるくすることもあるかもしれません。

でもなんのためのそうなっているかというと、実はそんな昭和の男性(わたし自身も含めた)を守るためにやっているんですね。

まあ必死に会社経営をしていたころの自分には余裕がなくて理解ができないと思うので、「伝わらないだろうなあ」と思いながらやっています。

 

なぜ問題視しているかというと、それは上下関係が無意識にも人を食べるトラップのようになってしまうからです。

その犠牲になるのは、たいていは弱い者です。

そしてその弱い者とは意外にも、人生という観点ではあなたにとっては本来は味方だったりすることが多いもので、

そこが悲しいなあと感じているのです。

近い人から大事にする

 

そんな昭和生まれの男性にとって一番の「敵」とはだれかというと、それは血気盛んな若いおサルです。

新旧のオスの争いは、おサルのころから続いていて、それは今でもとくに変わっていません。笑

 

ふつうは若いおサルが強いのは当たり前です。

あるポイントを過ぎると、歳をとったおサルには勝ち目がありません。

そこで、おサルよりもほんの少しだけ進化した人間は、「上下関係」という概念を生み出しました。

オスの人生とは、身体的な強さのピークを過ぎたらもうNOBODYになっていってしまうのが自然の法則ですが、

上下関係のおかげで、社会的な寿命を少しだけ延ばすことが可能になりました。

(財力があればさらにもう少し延ばせる。その場合は「勝っている」というよりも「買っている」という感じか)

 

ただ問題は、その勝つ快感を得やすいのは、当たり前ですが、相手が弱い場合です。

もともとは若くて強いおサルと戦うための武器だったことを忘れて、それを使うと得られる快感のとりこになってしまうと、

無意識にも周りの弱い者を食べ始めてしまうのです。

 

そして逆に、たいていの上司は、若い中でもとくに強いサルとは適度な距離をとり、戦いにならないようにします。

たとえばテレビの大御所が、気が強そうな新人芸人を「できるやつだ」と言って一目置いたりする感じです。

でも、上下関係という武器が手元にあって、快感も欲しいから、そうなると自分のその欲望は弱い者へと、無意識にも向いてしまいます。

これがパワハラや子供虐待の大元にある感情ではないかと、個人的には考えています。

 

そしてなぜこの話を繰り返しするのかと言えば、もちろん弱い者を守りたいのもあります。

たとえばわたしは自分の中の無意識なおサルから自分の子供たちを守りたいし、

あとはたとえば野球部で怒られているのは、たいていは生物としてみると弱めの子だったりします。

気の強い子がミスをしても、気が弱い子と同じように怒らないのは、上下関係臭が強めな監督あるあるです。

 

ただ、それよりもさらに大きな目的があって、それはそうなってしまう昭和の男性そのものを守りたいと感じるからです。

言い返してこない弱い子だけを怒る監督は、晩年孤独になるのがもうほぼ確定しています。(家でだけ理性的な聖人ということはないと思うから)

それは昭和生まれのわたし自身も、相当に気を付けていないとそうなってしまうし、

なにが悲しいかと言えば、

要するに昭和時代に弱かった子が、今上下関係の快感のとりこになってしまっていることです。(だから本質的にはだれも悪くはない)

 

 

 

そこでわたしが提案しているのは、権力を適切に使おう!というアイデアです。

適切とはどういう意味かというと、若くて強いサルと戦うために使おう!ということです。

年上のおサルを追い出したいだけの旧いタイプの脳な若いサルとは、権力を全開にして、遠慮なく戦うべきです。笑

 

ただ現代の強さは、気の強さだけではなくて頭の良さも重要な要素なので、だから弱そうに見えるやつが強いこともあり、注意が必要です。

脳のバージョンは若い彼らの方が確実に新しいので、昭和生まれのぼくらのほうがそもそも不利であることを忘れずに、相手の出方を予想しながら戦う必要があります。

たとえば弱さを武器にしたSNSなどは、現代の戦いにおいては最強のリーサルウエポンかもしれません。(が、それは相手側の手にあります)

 

だから、権力は分かりやすく使ってはいけません。

これは、「日常で上下関係を使ってはだめ」とわたしがいつも言っている、裏の理由でもあります。

「社会的に相手が悪い」という証拠をつかむまでは、動いてはだめです。

そして、「悲しいけれどわたしはあなたをLet goせざるを得ないんだよ…(英会話レッスン:英語で自分が悪者にならずにクビにするときにこういう言い方をする)」というポジションを確保してから、権力を全開にします。

もしくはそこまで行ってあえて許し、周りにも分かりやすいように恩を売り、さらに自分のポジションを強固にするという選択もあります。笑

 

だからとにかく、ふだん分かりやすくえばったらだめです。

その快感に負けてはだめです。

声を低めて手をチョップみたいに上げて「おっ」とか「ごくろうさん」とか、上下を確認するためのそういう昭和っぽいことは、ぜんぶだめです。笑

だからと言って下手に出る必要はなく、役割分担としての責任の上下のほかは、人間同士として対等であればOKです。

イメージが難しれければ、対等の友人に言ったりやったりできないことをしなければいいだけです。

上下関係は気持ちいいけれど、周りへのそんな印象は、自分を不利にしかしません。

権力は、然るべきときまでとっておかなければなりません。OK?

 

そして最後にもう一つだけアドバイスがあります。

それは、そもそもそんな戦いの次元(おサルの次元)から出よう、という提案です。

具体的には、昨日のコラム↓にも書いたけど、おサル脳が弱めの新人類を大事にしよう、

そのために権力を使おう、というアイデアです。

昭和生まれの上司が「令和の上司」に進化するための考え方

 

そういう人たちは、あなたが安全だと分かると、喜んで静かに力を貸してくれます。

それはおサルの惑星において、歳はとったけどまだ権力のある…でももう戦いたくはないおサル(あなた)と、

若くて新しいから人間に進化しようとしていて、そのためにおサルの強さを手放し新しい動機で生きてこうとしている新型たちとのコミュニティとして、

お互いを守り合うことにつながります。

上下関係の権力とは、猿と人間が入り混じる(自分の中でも入り混じる:わたしの脳内では9対1でおサルが優勢)そんな混とんとした世界で、新しくて貴重な人間性の種を守るためにあるのです。

 

 

 

最近見始めたドラマが、淡々としているけど面白い!

ピートという若い男はいつも年上のポジションを狙っていて、小物なんだけど頭だけはいい。

こういうやつには権力を全開にしても、まったく罰は当たらないと思う。苦笑

というか、神さまはこういうタイプから身を守るために、上下関係という武器を与えてくれていると思う。

1960年代のアメリカの男女における上下関係もひどい感じで描かれているけど、それは日本ではまだ現在進行形で、日本人が観るとまた違う意味で学べる。

 

But…
Don’t become a Monster, in order to defeat a Monster…

でも…

モンスターをやっつけるために、モンスターにはならないで…

 

 

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