コロナが怖い人と怖くない人、両方が必要な理由

コロナが怖い人は、マスクをつけていない人がいたりすると腹が立つようです。

でも、マスクをつけないことに腹が立つ人が恐れているのは、コロナというよりも人の目ではないかなという気が、わたしもそう感じることがあるし、個人的にはします。

もう少し言えば、真面目でないことへの恐れ。

そういうことが平気な人を見かけると、自分は我慢してがんばってやっているだけに、無性に腹が立つ。

もしくはそこに居合わせるだけで無性に怖くなって、心がざわざわして、無意識に戦闘態勢に入る。

ちゃんとしない人に腹が立つのは、不本意に真面目に生きてきた人ほど陥りやすいメンタルかなと思います。

「不本意に」というところがポイントで、

日本人にとっての人の目とは、村八分や切腹の恐怖がトラウマレベルなので、怖くても仕方がないかなと思います。

日本人なら誰しもこういうモードになることがあると思います。

 

わたしも自分がたとえば電車に乗っていてそこから逃げられない場合は、もしマスクをつけない人がいたら、腹が立つかもしれません。

でも、もし電車に乗らなくていい自由が自分にあった上で乗っている場合は、同じ場面でも腹は立たない気もします。

自分が腹が立つケースで考えてみると、腹が立つという部分だけで言えば、自分は自分の不本意な状況に腹が立っているんだ、

もっと言えば、自己嫌悪の怒りなんだ、という気もしてきます。

マスクの話も、感染予防の話と個人的な怒りの話に分けられると思います。

誰かがマスクをしていなくて危ないと感じたら、「マスクたまたま予備あるからあげようか?」と穏やかに解決できるか、または「なんでマスクをしないんだ!」と怒りが出るかでは、

同じマスクの話でも、動機は、脳内の全く異なる場所から出ています。

前者は感染予防が目的だし、後者は相手をやっつけることが目的です。

そして怒りは、感染予防のための怒りだと自分では心から信じていても、たとえば仲の良い人やあとはお得意客など、相手によっては怒りの感情が湧かなかったりして、ただの善悪というわけでもないようで、あいまいです。

 

 

大きな視点で観ると、コロナを怖がる人と怖がらない人は、社会に同じくらい必要です。

どちらか一方に偏り過ぎると、そのグループは滅びてしまいます。

今まではこういう「在り方は人それぞれ」みたいな話を聞いても「ただの概念」くらいにしか思わなくても、今はとてもリアルです。

全員がイケイケなら、全員が感染するかもしれません。

でも全員が怖がり過ぎても、こんどは全員がうえじにするかもしれません。

だから天の采配としては、大体半分くらいずつにしておくのが、一番生き残る確率を上げることになるだろうと思います。

 

会社も、全員がイケイケなら今の時代はとても危ないですが、でも全員が怖がりでも、別の意味で危険です。

だから、社内が半々なら、もちろんどちらの意味でもリスクは残るから気分はすっきりとはしないけど、

でも生き延びる確率は上がります。

社長も、自分がイケイケか、または怖がりかによって、抱えるリスクの種類が変わってきます。

一番安全なのは、両方のタイプが存在することを赦すことです。

そして自分が性質的にできない方のことを、それが平気な人にやってもらえば、打てる手は一気に増えます。

まあふつうの育ちの人はそれが自然にできると思います。(自分ではない方のタイプを責めたくならないし、素直に頼れる)

問題なのは、不本意にがんばって生きてきたような場合です。

その場合は、自分ではないタイプを排除していく代わりに、多くの選択肢を失うことになってしまいます。

 

また、子育て中なら、これは子供がもって生まれた個性に直面する機会かもしれません。

子供がイケイケなタイプの場合、自分が怖いタイプなら、心が乱れるかもしれません。

当たり前だけど、感染はしてほしくありません。

でも、子供の個性をこれを機会に否定してしまうのも、長い目で見れば、持って生まれた長所を無効にしてしまい、別のリスクを生むことになってしまいます。

今の状況で子供に必要以上に腹が立ってしまう人は、育ちの中で自分本来の性質を否定してきたことにより自分本来の長所が無効になってしまっている可能性があり、その場合はその怒りは子供の問題ではないかもしれません。

 

 

日本は、全体的な性質で言えば、全員が同じでないと気が済まない国だと思います。(まあそれも国としての個性だが)

歴史を振り返ると、全員で強気になったり臆病になったりしながら、極端な上下を繰り返してきました。

でも一丸となることは、日本人の遺伝子的には気持ちはいいけれど、必ずしも良いことだとは限らないのは、戦争にしてもバブルの崩壊にしても、歴史をみればその怖さを思い出せます。

というか、その一丸となる脳内快感物質は、時代には合っていない可能性があります。

むしろ、半々に割れない方が危ない。

一丸となることを世界中の誰よりも追及してきた日本人は、いま半々に割れて、もっと言えば半々どころかばらばらに割れて、

それが新しい安全なんだということを、生物としての進化的には学んでいる可能性があると思います。

一丸となるか村八分か、村八分か切腹か、それをはっきりさせない気持ち悪さは、まとまることこそが唯一の正義だと信じ込んでいるぼくら日本人にとっては、かなりの苦行ですが…

 

 

感染予防の話にしても考え方の話にしても、自分本来の性質にあった意見を、自分はもっていい。

中道である必要はなく、本来の性質に戻って、偏っていい。

というか、偏った方がいい。

もちろん本質的に中道の人もいるだろうけど、

群れの中の関係性として無理に中道を選ぶようなことは、自分本来の性質が無駄になり、全体にとってのメリットを生まなくなってしまうので、

健全に偏ることはとても大事。

自分が偏っていることを赦せると、逆側に偏った人の存在を赦せる。

そうすると、お互いの長所を無効にしなくて済む。

そうなれると、想像ができないようなピンチに遭った時にも、全体としてなぜかそれに対応することが可能になる。(不思議だが、生命の神秘↓)

あらゆる可能性を追求するのが私たちの本質

 

 

偏ることにはメリットもデメリットもあるし、無傷で済むわけでもないだろうけど、

でも今回コロナだけでなく、経済的にも精神的にも生き残るには、気持ち悪さも含めたそういう多様性をもつ必要が、おそらくありそう。

偏った同士の建設的な議論と、相手の偏りを許せるかどうか?の議論は、区別がつきにくかったりと、

考えるほどにややこしく、とても難しいと感じるけれど、

でも体験とは理屈を軽々と超えるものなので、どういう解決かは分からないけれど、

コロナが過ぎるころには、きっと今よりも未知のリスクに強くて安全なグループになっているのだろうと思います。

 

まあこんなことを考えていると、大きな話だけではなく日常でも、自他の在り方を赦せてネガティブな感情が減り、生活が楽になると思います。

 

(関連コラム)

日本はマイノリティにとって生き辛い場所だけど、でもマイノリティが滅ぼされてはだめな理由

 

 

 

(余談)

マスクをしない人を攻撃してしまうような人の問題(+一丸とならない人が許せない問題全般)は、

コロナも善悪もあまり関係ないと思います。

一丸となることが純粋に好きな人は、そうだと楽しいし、そうでなくても腹は立ちません。

でも腹が立つという場合は…

そういう人はたいてい、小さいころからいい子というババを引かされてきた人。

読みたくもない空気を読むことをがんばらされてきた生真面目な人。

そしてそれがもう限界になってしまった人。

それが怒りに変わって、コロナとは別のリスクを生んでしまっている。

もともとは、同調圧力の被害者。

でもあぶないはあぶない。

だからそういう正義警察みたいなのに狙われてしまうタイプの人は、逃げよう。

でも「あんたくそまじめすぎんのよー!もっと力ぬきー!がはは!」となれる大丈夫なタイプの人は、

身近にそういう人がいたら、その人をとっつかまえてしばりあげ、(←あぶないから…ね)

みんなで優しくしよう。

その人の心の中にたまっているババカードをごっそり引っぱり出して、

大丈夫な人がみんなで一枚ずつ引き受けよう。

その子の言動を厳しく管理してきたやつから、その子を守ってあげよう。

そんなことをしなくても君には価値があるんだよーと癒してあげよう。

そしてその厳しく管理するやつも同類だから…、だれか別の人が癒してあげよう。(きりがないな…戦後の負の遺産だな…悲)

そういう、自分の性質に合わないことをがんばれてしまう生真面目な性質の子を、逃げ場なく追い詰めてきた、

息抜きの暇の与えないほど問題を押し付けてた社会全体の問題を、

今こそ解決しよう。

 

(でも気を付けてね。相手に自分を傷つけさせちゃだめだよ。引き受けるジョーカーは1枚だけね。ここでもまたいい子は引き受け過ぎになりがちだから…!)

わたしは狙われるタイプなので逃げますが、謝

大丈夫なみなさん、よろしくたのみます。

 

 

そして自分が危険なタイプになりがちな場合は…

えーとどうしよう……

 

 

…HELP US, ELVIS!

腰を振って「けしからん!」と言われようと…

この人がイケイケだから、世界は楽しい

 

 

 

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