自分の生存本能が生存を目指していなくて笑える話

わたしの脳は、どこかおかしいんです。

というのも、このまえ痛風と診断されたのに、まだ「食べたい」と脳が感じる。

むしろだめだと言われてから、食べたい衝動がさらに増している気もする…笑

あれだけの激痛を体験したのに…

わたしの脳はもう機能していないのかもしれません。

 

 

わたしの脳の回路には、ぜひ進化を加速してもらいたいです。

だって、時代の変化にまったく追い付いていない…

だめだと分かり切っている食欲を、少しもコントロールができない…

(食べる量は必死にコントロールしているけど、食べたいという欲望があること自体は少しもコントロール下にない)

わたしが抱えている脳の問題の多くは、ウインドウズ95+アナログ回線なのにテレワークしなさいみたいなレベルの、ほんとに無理なことばかりなんです。

 

とりあえず、自分の脳のアップデートについての希望を列挙してみます。

進化の神さまへ

・飽食の時代に合わせて、炭水化物や脂肪分や塩分や出汁(出汁すら痛風に悪いとは…!悲)を必要以上に美味しいと感じなくなってほしい。

・健康的なものを美味しいと感じ、やせ我慢するんじゃなくて、かっこつけるんじゃなくて、適量が幸せ!という脳の回路になってほしい。

・食べることと同等の喜びを、もっと健康的なことに感じてほしい。

・個性の時代になったんだから、子供が個性的に育っていくことを、葛藤を乗り越えて…とかじゃなくて、もっともっと自然に喜ぶ脳の回路になってほしい。せっかくだから次世代の進化を目撃することをもっと楽しみたい。

・さんまさんは食べこぼしがすごいらしいけど、食べこぼしと社会的な成功は関係がないというそういうデータがあるのだから、食べこぼしを見かけると動悸が早まるのをもうやめてほしい。

・父や母に似た人がいると緊張状態になるのは、疲れるからやめてほしい。

・自己重要感が低くても生きていけないわけではないのだから、さらに別の問題を引き起こすような無駄な苦しみは、もうやめてほしい。

・生きることが最優先なら、苦しいことがあったときに、生きる元気がなくなっていくような感じになるのは、無駄だからやめてほしい。

・苦悩から学ぶ仕組みはもうやめてほしい。

 

まあきりがなさそうなのでこのあたりでやめておきますが、

しかし、なんて不便な脳なんだー!と正直思ってしまいます。

コンピューターだってプログラムは書き換えが可能なのに、

人間の脳のプログラムは、精神修行をしないと書き換えられない。

大病をしたり、いろいろ失ったりして、苦しみを通してようやく学んだりする。

わたしの父なんて、大病を3回もやっても、まだ隠れて甘いものを食べたりしてます。苦笑

生存本能とはいったいなんなの?ほんとに生き延びたいの?と混乱します。

 

 

ところで「デジタルネイティブ世代は戦争をしないかも」という文章をどこかで読んだことがあります。

それを読んだとき、「それ、そうかも!」と思いました。

ぼくらの世代は、競争心とか勝ちたい願望などを当たり前の感情として感じています。

でももしかしたら、それは新世代では必ずしも当たり前ではないかも…

たとえばアイドルグループの嵐が出てきたとき、この人たちはなんだかほのぼのしてるなあと、みんな感じたと思います。

また今なら、お笑いの第七世代を見ていて、上下関係の群れみたいな世界なのに、旧世代とはなにか生きている世界が違う感じがする。

願望がいきなり消えたりはしないだろうけど、でも勝ちたい願望が明らかに減っているように見える。

競争はするけれど、上に立ちたい、偉そうにしたい、相手を負かしたい、つぶしたい、干したい、とまでは思わない。

もっとゲーム感覚で、楽しいからやる…感じ。

(まあ、一段上のレベルのしたたかさや残酷さも感じたりして、怖くもあるが)

うちの子供たちもそんな感じで、友達と遊んでいるのを見ても、みんなどこかわたしの子供時代と雰囲気が違う。

新しい世代には、旧い世代ががんばってきた、たとえば嫌なことを我慢しながらやる…というような生き方を教える必要などないのかもしれません。

新世代からしたら、「それ我慢する必要があること??」という感じなのかも。

 

もしかしたら新世代の中には、炭水化物を過剰に美味しいと感じない脳の回路をもつ個体が、もう生まれているかもしれません。

ちなみに子供の話だと、同じ部活(運動部)に、肉を食べられない友達がいるそうで、

おそらく1万年前にはその性質をもった人はたぶん一人もいなかったと思うので、肉を食べたくて飢えているわたしからみると、いやあ人類進化しているなあと思います。

そしてそんな、炭水化物や動物の肉を過剰に食べない個体の体験を通して、もし地球全遺伝子総会議でそれでも大丈夫…もしくはむしろ好ましいという判断になれば、(どうやっているかは知らないがなぜか通信機能がある)

それらを過剰に美味しいと感じるスイッチは基本設定でオフになり、(念のために機能は残しておくが)

痛風や糖尿病のような病気はまもなく過去のものになるかもしれません。

 

 

無駄どころか健康リスクを生む食欲と同じで、

たとえば、承認欲求をいっとき満たすために破産するほど消費してしまうとか、

獲得の快感を刺激してくるギャンブルの誘惑に勝てないとか、

環境を壊すほどの無制限の欲望(=欠乏感)とか、

あとは無駄なけんかも、そして戦争も、

ぼくらが抱える問題のほとんどすべては、あまりにも時代遅れな生存本能が原因であることは、明らかです。

旧世代のぼくらも、これらはどう考えても無駄だなあ…とまでは思えます。

ただ問題は、そうは思えても、正直そういう衝動は自分の中に確実にあることです。

ぼくらはそれを我慢で抑えるしかないけど、

そしてそれを、「人格が高い」とか「器の大きい」とか言いながら必死にがんばっているけれど、

もしかしたら新世代は、その問題ごとまとめて最初からない感じなのかもしれない。

だとしたら、羨ましすぎる…

 

 

でも、進化の先を行ってくれて、希望を見せてくれて、嬉しいです。

今はインターネットのおかげで進化も早いので、もしかしたら数世代あとには、今とはまったく異なる世界になっているかもしれません。明

 

 

さいごに、進化の神さまにひとつ聞きたいのは、

ぼくら旧機種には配布されなかった「新しい感じ方」のアップデートがあったのかどうか?ということです。

(あったんでしょ??あったんですよね??進化の神さま!

もしあったのなら、旧機種のわたくしめにも…なにとぞアップデートをーーー!!!お見捨てなきようーーー!!!

※文鎮化するリスクも承諾するのでーーー!!!笑)

 

 

(関連コラム↓)

「そう感じない」というアプローチは結果的にきっと近道

 

 

この動画素晴らしいです↓

リチャード・ロアさんという修道士さん?の方の講演

キリスト教のお話だけど、仏教や哲学のアイデアも取り入れられていて、とても現代的で中道な感じ。(伝統的な同朋には文句を言われることも多いけど…とこのビデオ内でも言っている。先駆者とはどんな分野でもそうなんだな…)

内容は、

人生にはファーストハーフとセカンドハーフがあって、だれしもいつかはファーストハーフで持っていたモノやアイデンティティを大病など様々な要因でごっそりと失い、セカンドハーフの人生へと落ちていくが、それはエゴにとっては落ちてはいるわけだけど、人間としては実は落ちることも含めて救いなんだ…

…と、まとめられないけどこのような感じ。ほんとうに素晴らしいお話。(字幕は、へんな日本語だけどONにできます)

↓欧米では有名な本らしい。

 

 

今日の一曲

♪♪Tell me, tell me. What’s wrong with me~

 

 

 

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