承認欲求は健全に満たすと減っていく

CO2削減の話は、もともと山ほど排出していた人は、削減が楽ですよね。笑

一方で普段から省エネを心がけてきたような人は、削減できる余裕がないケースもあると思います。

まあ外交ではそんなことはみんな百も承知で、裏の事情で駆け引きをしているのだろうと思います。

日本政府には徹底的にデータを示して、自己主張をがんばってほしいです。

 

 

削減といえば、わたしの承認欲求の削減量はすごいです。

生まれながらにもっていた承認欲求の値の80%くらいは削減した…と自信を持って言えます。

だから今はあなたのたった2倍くらいです。笑

 

ふつうの欲求は、満たされれば次に必要になるまでは収まります。

でも承認欲求は脳内物語の中での欲望なので、無限です。

たとえばまぐろは、一年に1回お正月にでも食べられたら、食欲や食べてみたい好奇心は十分に満たされます。

でも承認欲求が食欲を操るようになるとやっかいです。

自分にはまぐろを食べる価値があるんだ!ということを確かめるために食べるなら、1匹丸ごと食べても収まらないかもしれません。

もしそれが脳にとっての成功体験(快感)となった場合は、自分の存在感を感じるために、また次の日も食べたくなるでしょう。

さらには、自分には何匹でも食べることができる社会的パワーがあるんだ!という方向へ承認欲求がエスカレートしてしまうと、

大勢をよんでまぐろ大宴会を毎晩主催したりするかもしれない。(美味しんぼでみたバブルの頃のイメージ)

わたしがまぐろなら、食欲まではなんとか許せても、人間の承認欲求についてはぞっとするだろうと思います。

 

よく、科学がもっと進歩したらたくさん食べても太らない技術が生まれるみたいな話を聞くけれど、わたしはそこにはあまり興味はないです。

なぜなら、無駄に食べたい欲望がなくなった方が早いしシンプルだと思うからです。

若返ったり長生きしたいというのも、長生きをしてどうなりたいのか?といえば、

自分がこれまでと同じレベルで承認を集め続けることができる場合にそう感じるだけ…ではないかと、わたしもそう感じたことがあるので思います。

一方で承認が集められない場合は、だれも長生きなんてしたくないのでは?という気がします。

 

承認欲求は、子供のころに愛された人は少ないものです。

逆に愛されなかったと感じた場合は、承認欲求のパワーを上げて、生き残りを目指します。

承認欲求とは、群れの中で重要な存在になれなければ生き残れない…という状況の中で、おサルのころから長い時間をかけて発達させてきた欲求だと思いますが、

さらにその大元は、親に可愛いと思われるか?大事に思われるか?が自分の生死を決めたようなトラウマ体験から始まった欲求だったのだろうなあと想像ができます。

もし必要以上にまぐろを食べたいと感じる大元が「もっと愛されたかった」だったとすると、あまりにも無関係すぎて、まぐろはたまったものではないと思います。

また、そういえばわたしは若い頃に異性にふられて落ち込んだことがあったけど、今思えばそのくらいで人間の生きる力が減ることはありえないなあと思います。

問題に感じる深刻さは現実の生き残りとはあまり関係がない可能性が高くて…、

自分は本当に力強い生き残りを目指しているのか、それとも生存なんかよりも承認の方が気になるのか…、

人間の承認欲求とは、満たされても満たされなくても、もはやポジティブな面を見つけるのが難しいほどやっかいなものだなあ…と思ってしまいます。

 

 

わたしのこれまでの個人的な問題の奥にも必ず「過剰な承認欲求」がありました。

恋愛や仕事の問題はわりと分かりやすくそうだったし、食べ過ぎで悩んたときもそこへ行き着いて驚きました。

人生を振り返っても、偶然のように見えた問題すら含めて、今思えば例外はなかったように思います。

問題の大元が過剰な承認欲求だったことに気がついてからは、なんとか承認欲求を減らせないか?と個人的に研究を続けてきました。

 

瞑想をすると、「問題に対して感じた感情」と「それを生み出していた大元の観念」がつながる度に、神経衰弱ゲームのようにその2枚が消える感じで、承認欲求は減っていきます。

このことに気がついてから20年間くらい、毎日神経衰弱ゲームをやってきたけれど、今では当初の20%くらいにまでは削減できたように感じています。祝

そうするとそれは、わたしが承認の欠乏感から引き起こすかもしれなかった問題を削減できたことと同じなので、自分的にはノーベル平和賞に値するように思っています。笑

でもまだ周りの倍くらいはあると感じるので、その功績は分かってはもらえなそうだな…とも感じます。(←another承認欲求…笑)

 

まぐろについては、大好きだからもちろん食べるんだけど、承認欲求の80%がなくなった分は、やはり食べなくなりました。

我慢しているわけではなくて、渇望感が少ない感じです。

年相応に食べられなくなったのかも説は、肉についてはまだ欲を少しも減らせていなくてまるで18歳かのように食べるので、…なさそうです。(厳しい玄米菜食で育ったこともあり、肉への渇望感についてはまた別のテーマも感じている)

気をつけないと痛風になってしまう食欲には多少手こずっていますが、モノの所有欲やそのさらに大元の人間関係欲の削減についてはとてもうまくいったように感じていて、生きるのはずいぶん楽になりました。

自分の自分のためだけの時間もとても増えた気がしています。(=80%くらい増えた⇛それをつかって12年間の育児休暇生活を送った)

ちなみにFIREを実現する最短のルートは「承認欲求が減ること」だと自分の経験からも思いますが、そのFIREしたい願望自体が承認欲求だったりする場合もあって、人間の心理とは複雑なものだなと思います。(とくにだれも羨ましがらないような質素でOKなFIREは意外と難しくないと思う)

 

 

承認欲求がなくなったら、人間は生きるのが楽になるだろうなあと思います。

でもまあ現状では人間の承認欲求が突然消えたりすることはないと思うし、まだ当面の生活においては大事であることに変わりはないと思います。

子供が感じる承認欲求ももちろんできるだけ満たしてあげ、それが将来問題に発展しないようにしてあげることは、現代になってようやく可能になったアイデアではないかと思います。

自分についてももちろん欲求はまだまだあるわけで、我慢をしても消えるわけではないので、

健全に満たしてあげることは大事だと思います。

 

「健全に」とは、「それは必要不可欠ではないんだけど、でもまあそれがあって楽しくてもいいよね!」という感じです。

子供がおもちゃを欲しがるときに、「あーこれは明日には飽きて要らなくなるやつだあ…苦笑」と分かっていても、昨日欲しかったものが今日は要らなくなるようなこともひとつの経験だろうから、まあ買ってあげますよね。

「健全に満たす」とはそれを自分に当てはめて、自分という存在を客観的に捉え、意識しながら満たしてあげることです。

それはただ盲目的に我慢したり禁止するよりも…、または無限の欲望を無限に満たそうと無意識に生きるよりも効果が高くて、(←というかこれらは解決にはなっていない)(←欠乏感があることが大前提だから幸せには絶対になれない)

毎回「実は無駄なんだよなあ笑」と意識的に思考することで、いつかその欲求そのものが不要であることに脳が気がつくかもしれない…と期待することができます。

承認欲求が減るメカニズムとしては、そのプロセスによって自分の自分自身への愛(関心)を自覚できることで、健全に育った子供のようにそれが不要になっていくから…かもしれません。

 

 

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これまでの人生で聞いたり読んたりしてきたことや自分の体験をまとめると、「承認欲求は人間にはもう不要」と言ってよさそうで、

本物の欲求である健全な食欲などとは違い、全く無くても生きていけるようです。

ネガティブな方向からみれば、人間の承認欲求がついに地球を滅ぼすかもしれない時代にぼくらは居合わせているかもしれませんが、

でも現実をみれば、従来のような群れの構造は「そうしたい」と承認欲求が欲するだけで、実質的に現代では不要になりつつあり、

承認がなくてもお金があれば生きていける仕組みにまでは来ることができました。

 

地球上にはすでに、仕事をしたくてたまらない人が働くだけでそれ以外の人が働かなくて済むだけの富も技術も十分にある世界になりつつあると思いますが、

でもたとえば大富豪が富を配りたがらない理由は、自分の承認欲求をありったけ満たしてみた結果→それは無限の底なしであることに気がついてしまい→そうなるとどれだけ配ってもそれは消えていくだけで無意味だから、そうしたくないだけではないかな…と、

イーロン・マスクが「君たちがもっとちゃんとできたらテスラの株を売って提供するよ」と言っているのを聞いて思いました。

だから大富豪が欲深いというよりは、大衆の承認欲求が無限である限りは、たとえばベーシックインカムのような夢のような仕組みの実現は難しいのではないかなという気がします。

 

社会の安全についても、承認欲求による理性は人目がないと働かないし、既存のルールは守れてもルールのそもそもの是非を問う力を承認欲求に期待するのは難しそうなので、(副作用も大きい承認欲求に、ぼくらは少し頼りすぎかも)

どちらにしてもこれからはいろいろな場面で、承認欲求に頼らない心理面での根本的な解決策が遅かれ早かれ必要になりそうです。

 

でも個々が瞑想をして、自分が生まれ育ちにおいてこの世で受け持った古い仕組みである承認欲求を上記のような方法で適切に解体して手放したり、残った欲求についても適切に活用できれば、

地球はだれもなにも我慢する必要のない楽園になる可能性が十分にあると思うし、

自分個人については、欠乏感から楽になりたいと思えば本当になれるかもしれない世界にすでに生きていると思います。

 

 

「承認欲求は人生の意味でも目的でもないんだよ」

だれかにそうはっきりと言ってもらえたら、「もう満たさなくて良いんだ」と思えて楽ですよね。

わたしはとくにこの本を読んで、そうはっきりと書いてはいなかったと思うけど、そう割り切れるようにはなれたので、

とてもおすすめです↓

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これを読むと、自分を一匹の生物として、客観的に見れるようになります。

自分はハードウェアだけは人間仕様へと進化しているけれど、中身(OSやソフトウェア)はまだ原始人と大差ないことが判明してがっかりしますが、笑

でも進化(OSの入れ替え)すれば楽になれるのかも…!という夢を感じることができるようになります。

(ちなみにこの本の著者も、人間が抱える問題を解決するには最終的には瞑想しかない…と考えているようでした)

 

 

(関連コラム)

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