理性が必要なくなったらようやく「人間1.0」
「われわれ人間の未来はーー!!!」
とよく言うけれど、われわれはまだお猿。
理性があることが人間とお猿の分かれ目ともよく言うけれど、それもまだお猿の思考。
本当のところは、理性のような非効率的な手法が必要なくなった存在が「人間」
…だろうと想像する。(わたしはまだ人間ではないので分からない)
糖質を必要以上に美味しいと感じないのが人間。
競争したい意味が分からないのが人間。
群れの中での承認が欲しい意味がわからなくなったら人間。
恐れや怒りという感情がない、我慢してるわけではなくて、それらが退化して消えたのが人間。
場当たり的で非効率的な旧い生存本能の仕組み全般が不要になった存在が、きっと「人間」。
本当の意味での「人間」がどう生きるのか?はまだわからない。
今とは全く違うだろう…という比較でしか想像はできない。
ただ、そうなった未来からぼくらを見ると、
縄張りが不要な飼い犬が電柱におしっこをするのがやめられないのがかわいい類の、
微笑ましい話に違いない。
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でもまだ人間ではないこの時代のパーティも楽しい