理性が必要なくなったらようやく「人間1.0」

「われわれ人間の未来はーー!!!」

とよく言うけれど、われわれはまだお猿。

理性があることが人間とお猿の分かれ目ともよく言うけれど、それもまだお猿の思考。

本当のところは、理性のような非効率的な手法が必要なくなった存在が「人間」

…だろうと想像する。(わたしはまだ人間ではないので分からない)

 

糖質を必要以上に美味しいと感じないのが人間。

競争したい意味が分からないのが人間。

群れの中での承認が欲しい意味がわからなくなったら人間。

恐れや怒りという感情がない、我慢してるわけではなくて、それらが退化して消えたのが人間。

場当たり的で非効率的な旧い生存本能の仕組み全般が不要になった存在が、きっと「人間」。

 

本当の意味での「人間」がどう生きるのか?はまだわからない。

今とは全く違うだろう…という比較でしか想像はできない。

ただ、そうなった未来からぼくらを見ると、

縄張りが不要な飼い犬が電柱におしっこをするのがやめられないのがかわいい類の、

微笑ましい話に違いない。

 

 

(関連コラム)

自分が欲しがるものの多くは犬のおしっこと同じ

わたしたちは自分の心の扱い方を正式には学んだことがない

人間1.0とは

 

 

でもまだ人間ではないこの時代のパーティも楽しい

 

 

 

Yusuke.Yokohamaサービス一覧

<経営コンサルティング>
経営者が自由になれるための仕組みづくりがコンセプトです。実務のサポートも可能です。
中小企業経営コンサルティング

<個人向けマインドフルネスコーチング>
自分の動機の出どころを理解し、自分の本質とエゴの両方を活用できる観点を見つけます。
マインドフルネスパーソナルコーチング

OFUSEで応援を送る

コメントを残す