責められるのが怖い人の心理
責められるのが怖い人の脳は、できて褒められるよりも、できなくて責められることを避ける方を優先してしまう。
そんなときの脳は、自分の身を守るために、「できない」という結論が欲しくてたまらない。
がんばってもできなかった…
不況でできなかった…
だれかのせいでできなかった…
「できることはあり得ない」という結論にならざるを得ないことを、分かってほしい。
とくに幼少期に責められたような体験のある脳は、そのように自分を守ることしか考えられない。
それで精いっぱい。
うまくいっている暇なんてない…
成功するなんて、そんなリスクはおかせない…
なにか不測の事態が起こって、そして責められるような状況が追い込まれることに備えて、常に準備しておかなければならない…
失敗することを前提に、それでも大丈夫な状況を作っておかなければならない…
過去に、とくに幼少期に責められて逃げ場を失ったような体験がある人は、責められるのが怖くて当たり前。
それは細胞の自動反応だから、たとえば大きくてカラフルな蛇をみて平気なフリはできても、心臓の鼓動が早まったり手に汗をかいたりすることをコントロールができないように、
自分のがんばりや意志でどうにかなるものでもない。
守りに入っている脳をもった人は、それが「自分という人間の仕様」と思うしか、たぶんない。
こう考える目的は、自分のエゴの言い訳を封じることではない。
目的は、そんな自分の脳を許すこと。
恐れている部分は変えられないかもしれないけど、恐れていることを許せるようになると、できない理由が不要になるかもしれないし、できなくてもいいじゃんと思えるようになるかもしれない。
自分を許せたら、悩みも問題も不要なわけだから、まったく新しい選択肢も見えてくるかもしれない。
責められなくていい場所へ行ってもいいよ!という次元の異なる許可を、自分に出してあげれるかもしれない。
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