生き辛さの扱い方(わたしの場合)

ぼくがラーメンやさんへあまり行かない理由は、座席が狭いことが多いからです。

となりの他人と肩先が触れ合いながら食事をすると、わたしはどんなに美味しいものも美味しいと思える余裕がなくなってしまうようなタイプです。

勝手なことを言えば、倍払ってもいいから席を倍の広さにしてほしい。

だから、どうしても麺料理が食べたいときは、席同士が離れているホテル中華などへ行くようにしています。

その1800円は高いとは思わないし、900円のラーメンを2回食べるなら、1800円にさらにサービス料を払ってリラックスした環境でたまに食べるラーメンの方が、わたしにとっては食事として価値を感じます。

昔から、たとえお財布がさびしい時代でも、できる限りそうしてきました。

(と思ったらすでにそういう商売をしている人がいた→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54451?page=3

 

まあこういうことは個人の好み、というか個性かなと思います。

賑やかなのが大丈夫な人は、ラーメンを快適に楽しめるでしょう。

わたしはラーメンは好きだから、それはとてもうらやましいです。

ちなみにわたしの弟はラーメンマスターで、休日は3食ラーメンを選ぶタイプです。

弟は人と会話するときも物理的に距離が近いし、どうも人との間に垣根をあまり感じないタイプなのかなと思います。

ちなみに、スキンシップをたくさん受けて育った子は、そういうことが平気になりやすいそうです。(もともとの個性もあるからそれは個性か?それとも症状か?という話になっていく)

 

わたしはこれからも、生きるための自分だけのスペースを人よりも多く必要とするタイプとして生きていくだろうと思います。

それにはもちろんお金がかかることもあります。

まず家選びがいつも難しいです。

近所付き合いがしたくてたまらない人が少ない地域はどこだろう?わたしと似たような人たちはどこに住んでいるだろう?なんて考えたりします。

軽井沢で育児休暇生活を送ったのも、別荘地というのは近所づきあいがなく、ふだんは人がいなくて静かだからです。

これは狭い(そして人口が多すぎる)日本では、別荘地以外ではあとはぽつんと一軒家くらいしか選択肢はない、という結論に至りました。(そんなぽつんと一軒家も、地域の人にインタビューしていくと素性まで知られていたりするあたりが微妙だが…。そういう意味では俗に言う「田舎暮らし」はわたしには無理。わたしは日本にはわずかな隙間もないように感じてしまう)

逆にお盆や連休は軽井沢を観光客に譲って、自分たちは観光客が来なそうなところへ行っていました。

(まあ家族で行くディズニーだけは、ディズニーマジックのおかげで大丈夫みたいです。笑)

同じような理由でタワーマンションを選んだこともありましたが、都会なのにどこに住むよりも孤立した感じが不思議で、好みでした。

あとは渋滞ももちろん苦手なので、好きな時間に出発できるライフスタイルは必須です。

どういう意味かというと、朝と夕方にできるだけ運転をしないために、仕事の仕方をそれに合わせて設計する必要があるということです。

またバケーションも、子供の休みに合わせる場合は仕方がないけれど、一人旅はオフシーズンの平日にのみ行きます。

そして土日は逆にオフィス街のホテルに泊まったりもします。

そういう様々な条件をベースに、仕事からなにからを根本的に考える必要がある、なかなかのタイプとして生きています。笑

 

その代わり、独りは平気です。

ソーシャルディスタンスも飲み会ができないのも全く苦ではないどころか、わたしにとってはちょうどよい距離感に感じます。(話が合う人との飲み会は大好きなので密でOKだが。←矛盾がすごいな笑)

あとは移動も平気です。平気どころかずっと移動している方が、どこか心が楽です。

そして旅先で出会った人とは、義務感が不要だからか、もしくは相手も似たようなタイプだからか、なぜか心から会話を楽しめたりします。

 

わたしのライフスタイルは、お金がかかることが多いし、ふつうのことをしないで済むための知恵や手間もたくさん必要になります。

またそうは言っても本当の孤独は無理だと思うので、そういうことを理解してくれたり面白がってくれる、家族をはじめとする心の広い人たちがいなければ、わたしが生きていくのは難しいです。

心優しい人たちに恵まれてきたことや、日ごろの行いから考えると自分でも少し心配になるくらい運が良いタイプなことなど、そういう助けがあって生き延びてこられたのかなと思います。

 

自分を否定していたときは、こういう自分特有の都合は、すべて自分に禁止していました。

そういう時代は、生きるのが本当に辛かった。

人よりもたくさん我慢しないとふつうの生活すらできない生まれを不公平だと思っていたし、そんな変わり者の自分が大嫌いでした。

わたしが小さかったころの母も、わたしの子育てにすごく悩んでいるようでした。

がんばって変わり者を直そうとすればするほどなぜか周りにさらに溶け込めなくなっていくのは、本当に意味が分かりませんでした。

 

不便さと生き辛さは別のものだと思います。

不便さはただの状況だけど、生き辛さはどこか自己嫌悪や罪悪感を含む、心の苦しみです。

そして自己肯定感が高ければ、不便さは大した問題にはなりません。

でも自己肯定感が低い場合は、それは心の苦しみとして感じます。

だから生き辛さとは要するに自己肯定感の低さという問題なんだなあと思います。

これはわたし流ですが、

自己肯定感が低い場合は、低いことすら赦してしまうような、「わたしという生物の仕様はこうなんだ」という感じになれると、楽になれます。

さらには、「わたしは不便さをすべてカバーしてもらえるだけの幸運に守られて生きていってもいい生物なんだ」と思えたら、なおいいです。

生き辛さは反省して直すよりも、認めて赦してそれを周りの優しい人や運にカバーしてもらえばいいくらいに考えるのが、健全ではないかと思います。

そして1800円の高級ラーメンは、自分を許していないと食べれないので笑、自己肯定感の確認ツールとしてちょうどいいなあなんて思います。

昨日はわたしは無宗教で神は信じないと書いたのに、今日は幸運を信じるコラムを書いているあたりが、ずいぶん矛盾していますが…笑

 

 

ネタばれ

生き辛さが大爆笑に!

わたしが一番好きなエピソード(シーズン3の14話)

 

 

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