空気を読まないことのメリットとは
わたしはこれまで、周りに同調できなくて苦労したことがたびたびありました。
たとえば、中学生のころ体育会系の先生にあいさつをしろと言われて、わたし一人だけがしなかったので、更衣室へ連れていかれ殴られたことがありました。
わたしは、不良でもなく見た目は普通だったんだけど、そういうところは負けず嫌いで、結局最後まであいさつはしませんでした。(おかげで痛い目に遭ったが…)
あとはたとえば小学生のころ、クラスでウサギを飼うかどうかの学級会になったときに、わたし一人が飼いたい派になって孤立したことがありました。
世話はどうするのか?責任はだれがとるのか?といろいろと言われてもあまり答えられなかったけど、でも「飼いたい」と最後まで言いました。
もちろん多数決で負けたけど、その後クラスの女子が何人か来て「本当は自分も飼いたかった」みたいなことを言ってくれ、嬉しかった記憶があります。
あと余談ですが、空気を読めなかったエピソードをもう一つ。
あれは、友人の友人に「結婚式来てね」と言われ、真に受けて行ってしまったときのことでした。
大きな扉を開けるともう披露宴が始まっていたのですが、いきなり入ってきたわたしにみんな驚きつつ、席を用意してくれ料理まで出してくれました。
その日は「結婚式楽しかったね」となったのですが、5年くらい経ってようやく、わたしは自分が招待されていなかったことに気が付いたのでした。(今思えば「来てね」は二次会の方だった…)
5年後に気が付いたとき、さすがに恥ずかしくて、顔から火が出ました。
友人には爆笑されましたが、わたしが自分で気が付くまで5年もそれを言わなかったんだなあと、さらにしばらく後になって理解ができました。(ありがと)
と、わたしの空気の読めなさはこんなレベルなのです。
引きますでしょう?悲
わたしに「遊びに来てねー」など社交辞令は言わない方がいいですよ。ある日本当に行きますからね。笑
本題に入ると、
でも民主主義は、みんなが違う意見になってそれで投票をするから意味があるのだと、わたしは理解しています。
でもその前になにか…空気を読むように合わせたら、意味がない気がしてしまうんですね。
権力や説得が上手な人に誰かがなびけば、全員でそれについていく。
そういう投票だと、権力や説得が上手な人個人の世界になってしまいます。
ふだんは「暴力はだめ」という空気なのに、戦争になるとなぜか「みんな戦っているのに君はその身を捧げないのか?」みたいになる感じです。
そのとき、空気にあおられる罪悪感を乗り越えてヒッピーみたいになれる人は、日本人には少ない気がします。
個人的には、そういう単一的な思考になってしまう社会での多数決は、とても危険な気がしてしまいます。
ちなみにわたしなら打ち首になっても戦争へは行かない、と現状では思います。(←そこでしぬんかい?という矛盾は感じるが)
選挙で誰に投票したかをなぜみんな言わないのかな?とか、政治の会話自体がなにかふれてはいけないものみたいな空気でもあるのかな?(←例のようにわからないんだけど笑)、
国民みんなであちこちで議論して、そしてみんなバラバラな個人として投票するわけではない今のわがくにの民主主義は、実質的には機能していない気がしてしまいます。
それは会社でも同じだと思います。
気持ち悪いくらいに表面的にうまく合わさっている会社は、個人的にはどこか怖いです。
そしてすごく弱く見える。
日本人同士の戦いにはもちろんそういうタイプのチームワークが強いんだけど(相手も同じ理由で弱いから)、
黒船やニュータイプには、次元の違う負け方をしてしまうタイプの弱さです。
先日、アメリカの人種差別問題に対して「社会が成熟していない」とでも言いたげなコメンテーターをテレビでみたけど、
表面的にはそれがないかのように振舞ったり、そういう自分自身の恐れを綺麗事にすり替える感じは、問題の本質が見えなくなってしまいそうで、わたしはそちらの方に怖さを感じてしまいます。
ときには空気を読まずに、または空気を読めないタイプの人は堂々と、問題をぜんぶテーブルの上に上げて、たとえ友人同士で意見が異なろうとも議論できる社会の方が、
解決したい問題は一つしかないわけではないのだから、健全だし進んでいるとわたしは思います。
会社も、社長まで空気を読み始めるようになってしまうと、組織が弱体化してしまうことがあります。
無意識に好かれることを選ぶほど、利益をあげる機会を失ったことにも気が付かず、解決すべき問題も先送りになっていきます。
組織が無意識で自動的なイワシの群れのようになってしまっている場合、忙しくターンを繰り返すだけで、その組織はどこへも向かっていません。
またアリの大群は強いけど、リーダーを失ったり、リーダーが自分を見失ったら、その組織は終わりです。
でもそれぞれが自分の意志で集まったコミュニティなら、そういうときに終わらないし、多数決も機能します。
ちなみにワンマン経営とは人に意見を言わせないところが心理的なポイントなので、ここで説明している強さや安全とは逆のものです。
またこれは、人を自分の思い通りにコントロールできる「できる人間」を目指そう…というような話でもありません。
ただ、オーナー社長として自分のリスクで商売をするなら、自分や家族を守るために、自分の意志をはっきりと、あえて空気を読まずに示すことによって、
それに自分の意志で賛同する人を集めるといいと思います。
あとになって、気を使うところに無駄なエネルギーを使わなくてよくなるためにも、最初が肝心です。
そしてそのうえで、空気を気にせずに思い切り議論ができるような組織にできると、長い目で見て強くて安全な組織(というか「コミュニティ」に近い)になると思います。
組織を大きくする場合も、幹部がそういうコミュニティなら、強く安全に拡大ができると思います。
そのためには、空気を読むこと=絶対的な善…、人格者、みたいな大前提をいったん壊して考えてみる、
空気を読まないことを恐れてきた自分の中の観念を理解しておく、といいかもしれません。
不思議なことに、空気を読まないことを恐れなくなると逆に嫌われなくなるもので、
「空気を読むと好かれる」というのも勘違いなんですよね。たぶん。
要するに何を言いたいかというと↓
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唯一そんなときにだけ役に立つ、超絶空気が読めない人間が、お手伝いに参ります。笑
3回続けておすすめはこれ!
今回はシェルドンの子供時代を描いたスピンオフ作品
空気が読めないことを爆笑で癒してくれるコメディ!
(薦めておいてなんですが、実はわたしはまだ観ていない。メインシリーズを全部通してあと何回か観て、ある程度時間を置いてから観るつもり。←楽しみすぎる)