過剰な欲望と罪悪感の両方を減らすことができるおそらく唯一の方法
(今回は自分のエゴに厳しめにいきます)
このコラムにも書いたけど、
自分が内心罪悪感を感じていることをやるときに、それに完璧な理屈がつけることができると、罪悪感を消すことができます。
代表的なところでは、教育のためなら子供をきずつけてもいい…みたいなことです。
でもこれを、
「わたしのエゴは子供の「心のお金」を奪い取って自分のものにしようとしているんだ…。教育はそのための口実に過ぎないんだ…」
…と正直に理解しながらやるとどうなるか?
…できません。
そしてそんなことを無意識にもやろうとした自分に、涙が出てきます。
このことから、自分のエゴによる正当化の理屈には、それほどの罪悪感を無効にできる力がある…ということが分かります。
人間の罪悪感とは、生存競争のための欲望が逆に自分を不幸にしてしまうことへの、脳自身による緊急パッチ的な対抗策です。
罪悪感を感じたあとにどっと疲れるのは、それが脳にとっては、アクセルを踏みながらブレーキを踏むような作業だからです。
でも欠乏感が過ぎると、脳にとってはやはり当面の生き残りの方が大事だから、(まあそれも脳内物語による勘違いなことがほとんどだけど。そんな危機はほとんどない)
罪悪感のプログラムは停止し、こんどは欲望が優勢になります。
宗教のようなもの生まれてから数千年で罪悪感の活用方法は一通り試してきた人類ですが、(日本人はそのマスタークラス)
数千年も我慢し過ぎたからか…、最近では欲望の方が優勢に見えることがあります。
そうなった経緯には、「偽善」の発明があったと思います。
最近(近代的な戦争をするようになったあたりから)では、偽善のアイデアを手に入れた欲望が、罪悪感を圧倒する時代になりました。
そんな偽善による理屈は、罪悪感を無効にした上に、もうなにをやっても自分が正しく思えてしまう、とても危険なプログラムです。
そんな罪悪感が劣勢な時代ですが、それでも、
大切な人にひどいことをしてしまったようなとき、3日くらい経つと、抑え込まれていた罪悪感も抵抗を始めます。
抵抗というだけに、罪悪感は、偽善との対決にパワーを上げて臨みます。
この強い快感vs.強い罪悪感の脳内での戦いは、アルコールや薬物依存などと似ていて、人間の心身をぼろぼろにしていきます。
そんな、追い詰められてしまっているときに残っている手段は、
冒頭にも書いた「分かりながらやる」というものです。
子供を理不尽におこるのも、悪いことをするのも、
分かりながらやろうとしてみる。
苦しかったり、悲しかったり、恥ずかしかったりしながら、
どのくらい意識的にできるか?
その度合が、罪悪感を活かす割合になります。
それが苦しければ苦しいほど、罪悪感が健全にパワーを取り戻しつつあることが分かります。
これに比べると、盲目的な我慢や理性は、社会では褒められるけど、
実際は問題を引き出しにしまって見ないことにした程度に過ぎない…と思えてきます。
それは、容量がいっぱいになるとあるとき突然びっくり箱のように開き、
いつも近くにいるからたまたまそこに居合わせてしまう、自分にとって大事な人を、意図せずにきずつけたりします。
とても危険なので全くおすすめはできませんが…
でもどうしても避けられないときはあえて真正面から取り組んでみると、
好ましくない衝動そのものが減ることにつながることがあります。
これは最後の手段というよりも日常的に気軽に使えば、逆に問題が大きく育たないことにつながると思います。
「自分は欠乏感をさしあたり満たすために、これをやることを選ぶんだ」と意識的に選ぶと、
どちらにしても避けられない罪悪感の効果は最大になるし、
欲を満たしてみて、その結果自分の人生にどのくらいの好ましい意味があったか?逆にどのくらいのデメリットやリスクが生まれたか?
と解析するのも、無意識にやってしまったあとで後悔するような流れよりも、はるかに容易になります。
たとえば食べ過ぎるのも、意識的なら、罪悪感も満足感も両方とも大きくなるので、
ただ盲目的に我慢するよりも、結果的に健全な変化が起こることが期待できます。
個人的な感覚で言えば、この方法は、
過剰な欲望と罪悪感の両方を減らすことができる、おそらく唯一の方法かなあという気がしています。
とはいえまあ…好ましくないことを意識的にやろうとしてみるなんて、とてもとても難しいことではありますが…!
なにか解決したいことがあったら、
クリスマスマジックのパワーを借りれる今は、チャンスかも。
(子供が小さいころ、間違えて責めてしまって、そのあと罪悪感にのたうち回ったのも、たしかこんな時期だった…悲)
↑前にも貼った気がするけど、あまりにも美しいので…
これもYOUTUBEのクリスマスプレイリストに入れている一曲。
ジョニーキャッシュもなかなかいろいろな人生だったらしい。
人類とは不完全だけど美しいもんだ。
戦争の終結を早めてあげたんだという理屈を罪悪感ゼロで主張するのはアメリカ人の定番だけど、(留学中によく言われたし、今もFBでとくにパールハーバーの時期に見かける)
反面ものすごい自浄作用もあったりもするアメリカは、不思議な国。(イギリス人がかく反戦歌を受け入れたり↑)
多くの人種が集まった複雑な環境で、善?も悪?も欲も愛も全開で検証するアメリカという集まりが、わたしは好き。
乱れているように見えても、表面上は綺麗だけど引き出しの中に先送りにした心の問題がたくさんつまっている日本の…3周くらいは先を行っていると思う。
なんて楽しい演奏!
これを聴いてワクワクしない人いる??
(まあいるな。ほかの宗教)
しかしクリスマスもお正月も楽しく祝える日本とは、優しくて大らかで、なんとも素晴らしい国だなあ。
そういうかわいいテキトーさは世界平和には絶対に必要な気質の一つだと思う。笑