人間1.0とは

ぼくらは自分たちがものすごく賢いと思っている。

進化したと思っている。

でも、チンパンジーからホモサピエンスにはなったけど、

残念ながら生きる動機はまだチンパンジーのままだし、

体のつくりもまだ狩猟採集民だったころのまま。

 

サピエンスと人間を分けて考えるなら、

群れに属したい、群れの中で存在感を感じたい、できれば猿山での座る位置を一段上げたいと願う動機と、

あとは美味しいものを食べ過ぎたら不健康になってしまう体の構造(不健康なものを美味しいと感じる脳の仕組み)のうちは、

ぼくらはたぶんまだ「人間」には進化していない…と考えるほうが自然。

 

 

では、チンパンジーの延長ではない「人間」とは、どんな存在か?

未来を明るく想像してみると、なんとなくイメージは湧いてくる。

まず、そんな新しい意味での「人間」は、生存競争に明け暮れたりしない。

いきなりものすごく先まで想像するなら、エネルギーは太陽エネルギーを直接体内に取り込めるように体が進化するか、もしくはそういうインプラント装置が発明される。(いまのところぼくらに感じられる太陽光のエネルギーは太陽が放つエネルギーの数パーセントに過ぎないらしい)

これだけエネルギーが降り注いでいるのに、命あるものを食べなければならずそれなのにそのうちの多くを排泄するとかはもう古い。

そこまでいってようやく、動物の延長ではない、特別な存在としての「人間」を名乗れる気がする。

チンパンジーに毛が生えた程度(いや、毛が抜けたのか)で人間だなんて、笑える。

 

少し行き過ぎたので戻ると、笑

生きる動機は、チンパンジーやホモサピエンスの延長ではなくなる。

ぼくらの代わりに仕事をしてくれるロボットやAIは誰がつくるの?というと、それはやりたいだれかが、趣味でやる。

個々が持って生まれた好奇心で趣味をやるだけで、社会が成り立つようになる。

そしてあるポイントを超えてからは、ロボットはAIとロボットがつくってくれるので、そういう仕事すら不要になる。

それ以降は、なにごとも純粋な楽しみのためだけに、趣味として行うようになる。

 

体の物理的な構造は短期間では変わらなくても、脳内の回路のつながり方が変わるだけでも、生きる動機が変わってくる。

無駄な欠乏感を感じなくなると、無駄に食べ過ぎることも、過剰に認められたい願望も、なくなっていく。

エネルギーも十分にあって、心の欠乏感もなくなると、戦うことが不要になり、

「腹が立つとはどういう感じだったっけ?」と、

怒りという脳の仕組みさえ不要になっていく。

人間同士が争う意味が、世代を経るごとに分からなくなっていく。

それはがんばって理性的にそうなるというよりも、そういう願望自体がなくなっていく

脳内の偏桃体が消えてなくなるわけではなくても、人間をチンパンジー化させていたそれは、もう「脳内の司令官」ではなくなった。

 

脳の構造が物理的に進化するまでは、もしかしたらしばらくは残る、古い種類の願望もあるかもしれない。

でもそれらは、やはり趣味になる。

昔となりの部族ところし合ったときに出た脳内物質はまだ出るかもしれないけど、それはタックルをしたりやり返したり、または観戦したりと、スポーツとして楽しむ。

Eスポーツなどは、実際のフィジカルコンタクトが不要なのに同じ脳内活動を楽しめるという意味でとても合理的だから、さらにメジャーになっていく。

親が心配する子供のゲームも、現実世界で争う大人よりも実は健全なんだという理解が広まる。笑

この辺りは、もう実際にそういう社会になりつつある。

 

欠乏感や恐れから解放されると、それを解決するためにとっていた行動が不要になり、

勝つ必要も認められる必要もなくなった人間は、生きることを純粋に楽しむことが、ついに可能になる。

いろいろな技術がうまれ、動植物を食べる必要もなくなった人間は、フードチェーンにすら属さない、本当の意味で「特別な存在」になる。

(今の人間?は「特別」なのではなく「最強」なだけ)

そんな「人間」は、環境の問題や人口爆発(いつかは自然に減っていくらしいがこのままいくと120億人までは増えてしまうらしい)などとはもちろん無縁。

 

 

もしぼくらがあと1000年くらい生き延びられたら、人類は本当にこうなる気がする。(←わりと短いのは、進化のスピードが加速しているから)

まあそれが簡単なことに思えないのは、現状ではぼくらはほぼ100%、チンパンジーと同じ感情を使う生存本能に、翻弄されながら生きているから。

でも、変わろうと「理性的に」努力するのはきっと無意味。

それは問題の先送りに過ぎず、自分が感じたことを我慢して抑え込んでいるうちは、理性的だと褒められはしても、「そう感じる」という問題の根本が解決しないから。

逆に「なぜそう感じるのか?」を直視することができれば、脳内の回路につなぎ変わる可能性が生まれる。

たとえば自分が怒っているのは自分特有な理由だったり、またはその怒りが自分の勘違いだったとふと気が付いたりしたときには、実際に怒りの感情は消える。

それが脳の回路がつなぎ変わるということ。

次に似たようなケースに遭遇するときには、もう感じ方は変わっている。

そういうことを積み重ねていくと、ぼくらの何世代かあとには、生存競争のための感情から自由になった脳をもつ個体が、突然変異で生まれるかもしれない。

(そのあたりの詳しい仕組みはわからないので進化の神さまにおまかせだが。でも新世代の遺伝子には古い世代にはない新しい要素が必ず含まれているらしい。これがきっと進化の種だろう)

 

 

ホモサピエンスになってから数十万年、

ぼくらは、チンパンジーから数えるともう数えきれないほどの長い時間をかけて、欠乏感や恐れをベースとした生存競争のための進化に突き進んできた。

でも地球とのパワーバランスを考えると、そんな生存競争のための衝動を、理性や罪悪感で抑える程度では、もう対応ができなそう。

ぼくらはすでに、猿としてはパワフルすぎる。

正しさを追求すれば、最後は戦争になる。

子育ても、ちゃんとさせようとすればするほど、子供の心は病む。

これ以上みんな仕事をがんばれば地球はだめになるし、自分も健康を失う。

そしてそういうこと全般を焚きつける偽善は、どんどん賢くなる。

理性と偽善の区別ももうつかなくなってきた。

これまではそんな理性を人間性と呼んできたけど、その方法で解決できるのは、現状のこの程度がきっと限界。

 

ここで定義したい「人間」は、そんな理性や罪悪感を使う必要がない存在。

人間1.0としてのスタートを切るためには、たぶん脳を動かすOSの、根本的な入れ替えが必要。

ハード(脳)はこのままでたぶん大丈夫。これ以上頭がよくなる必要はない。

それよりも必要なのは「使い方」。

これまでは、チンパンジーの感情に、人間の大脳を使わせていた。

でもこれからは、大脳が自立して動く。(脳内のチンパンジーはペットのようにかわいがる)

人間の脳はまだ10%しか使われていない…みたいな話が流行ったことがあったけど、あれは間違いらしい。

この新しい観点では、人間の脳はまだ1%も使われていない。

99%以上がまだおサル脳の支配下。(使われてはいけるけど、「自分」のコントロール下にはない)

自分の一日を振り返っても、おサルと共通の動機ではない行動の時間は何%だったか?と考えてみると、わたしは毎日1%にも満たない。笑

 

進化の神さまがいるとすれば、きっと人間1.0への変異を望んでいるだろうから、

チンパンジーの感情から独立した脳の回路のつなぎ方を見つけた人には、それなりの報酬を出すと思う。

それは脳内報酬なら幸福感だし、物質的にも、そういう流れで得る富は比較的クリーンで安全。

自分の中に古い種類の感情を感じたら、今の自分にそれは必要か?と意識的に考えてみる。

本当にそう感じるしか選択肢はないのか?

目の前の競争に勝つことだけが解決策か?

その競争に勝つことで得ようとしているものはなにか?

それを競争せずに得る方法はないか?

そもそもそれは必要か?

そんな風に考えていると、少しずつ別の角度からも見れるようになっていき、脳内の回路が少しずつつなぎ変わっていく。

 

毎日がんばって生きてきた自分が、思っていたよりもまだチンパンジーであることは、当面はどうしようもない。

人間1.0は、まだ月ほど遠いように感じる。

でもまずはそれを自覚しないことには、人間1.0はイメージすらできない。

古い武器や防具を手放していくチャレンジはとても恐ろしいけれど、

進化の神さまがいるとすれば、きっとそんな勇気には報酬を与えたくなるはずです。(結局そこかい。笑)(でも当面はそれでいいと思う。)

 

 

 

ぼくらはまだチンパンジーの延長、を抵抗なく自覚させてくれるアート。

 

 

 

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