これからは農耕生活と狩猟採取生活の良い部分を掛け合わせていこうと思う
「土地に根差して」というような話は、その感じが「昔からの人間の生き方だから正しい」みたいに考えることが多いけど、
実際は、農耕生活はそれ以前の狩猟採取生活の歴史の長さから考えると、とても「新しい」。
あまりにも新しいから、1か所に根差した生活には、実は不具合がたくさんあるらしい。
まず、人間の体は同じ作業を延々と続けるようにはできていない。
歩いたり、走ったり、ジャンプしたり、飛び降りたり、木に登ったり、毎日いろいろな活動をするようにできている。
腰痛や肩こりなどは、毎日同じ作業や姿勢でいることがいかに人間の体に向いていないか?ということの表れ。
また、狩猟採集生活はいろいろなものを食べるので栄養バランスに優れていて、現代人が抱えているような病に悩まされることも少なかった。
感染症に苦しむようになったのも、群れが大きくなり過ぎたことと、動けなくなったから…らしい。
一日中働くのも無理がある。
本当は、一日の多くを寝転がったり遊んだりして生活するのが自然。
一日中働くようになったのは、農耕の時代になってから。
作物は、人間に四六時中働くことを強い、移動する自由も奪った。(作物が人間を利用して繁栄した…笑)
その代わりに蓄えが手に入ったじゃないかと思いそうになるけど、でも残念ながら、飢えは農耕を始めてからのほうが厳しくなったそう。
農耕のおかげで人口が膨れ上がったけど、そのせいで作物がだめになるだけで、人間は飢えるようになった。
人口が増えることができ、生物としては勝ったように見えるけど、でも個々の生きる力は衰え、
くびになったり倒産しただけで生きる望みを失うほど、毎日働いてお金を稼ぐ以外は無能になった。
そんなだから、メンタル面では慢性的な気分の悪さに苦しむようになった。
土地から動けないことから、守らなければならないものが増え、危険が迫ってきても逃げることもままならなくなった。
土地の奪い合いも激化し、出会いがしらの小競り合いでは済まなくなった。
コロナが明けたら、いろいろと感じ方が変わっていると思う。
がんばっていれば安全だと信じてきたのが、がんばること自体ができない、レベルの違う恐怖を体験してしまった。(病気やうつを体験した人は知っている感覚か)
だれかやなにかに依存しても、その対象も揺るがないような存在ではないことを実感してしまった。(船自体が沈まないかの方が心配)
都市部で暮らす意味や、出社する意味や、お金を稼ぐ手段自体も、これまでの常識は(まあこれからもしばらくは続くだろうけど、少なくとも)常識ではなくなった。
コロナはもしかしたら、農耕生活の行き詰まりを示唆しているのかもしれない。
農耕生活に使う動機は、恐れや恐れからくる義務感など、主にネガティブな動機。
慢性的な嫌な気分のなかで無理やりのがんばりを駆使しないとできないほど、人間にとって農耕生活は難しい。
一方で狩猟採集の動機は、基本的に好奇心。
使う動機が全く違う。
農耕生活と狩猟採取生活はどちらも一長一短だと思うので、
コロナが明けたら、これからは、ぼくらはそれらの良い部分だけを合わせていくといいのかもしれない。
今回ほぼ強制終了のようなかたちで農耕(仕事)をがんばることをやめてみたら、
子供は家にパパがいて喜んじゃって、あれ?このままもしずっと家にいれたらすごく幸せなのでは?という気がしたり…
あれ?ずっと家にいれるならもうどこへ引っ越しても同じじゃない?と新しい生活様式のアイデアが湧いてきたり…
家族や心の問題が表面化して、それまでの自分は外でのがんばりに逃げていただけだったなあ、愛や感情の問題が老後に先送りにならなくてよかったなあ、と気が付けたり…
また、人間ががんばるのをやめたら、なんだか地球が少し喜んでいるような気がしたり…
コロナはきっと、「新しい生き方を試してみない?」という、進化の神さまからの問いかけかもしれない。
♪♪Roam around the world♪♪(コロナが明けたら)
参考