削減したい無駄と、あったほうがいい無駄
忙しそうな人が空回りしているのと見ると、辛くなります。(クライアントでも友人でもない人にはわざわざ言わないけど)
わたしは無駄なことをするとすごくがっかりされながら育ったこともあって、無駄を検知するとても敏感なセンサーをもっています。
わたしが最もなんとかできたらなあと思わずにいられないのは、自分の個性に合っていないことをがんばっている人です。
がんばっているのに気の毒ですが、そういう人は、わたし自身の育ちのトラウマもあって、辛くて見ていられません。悲
ただ、昔は無駄全般が嫌いだったし怖かったけど、
いまは、そんな無駄にも2種類あるなあと思います。
削減したい無駄と、あったほうがいい無駄です。
これは客観的な視点をもてば理解ができます。
自分に合わないことをがんばっているその周囲には、同じことを得意だからやっている人がいます。
周りの犬がおすわりやお手が上手にできるのを見て、猫がわたしも!とがんばっても、申し訳ないけれど、たかが知れてます。
(というか、猫好きからすると、そんなことをしないから猫が好きなのに…的な話にもなっていきますが、それはとりあえずおいておきます)
合わないことをがんばる不幸は、それが得意な人にあっさり負けるだけではありません。
同じように合わないことをがんばっているライバルとの競争は熾烈だし、悲惨です。
その競争はまずがんばり合いになり、次第に値下げ競争になっていき、つぶし合いになります。
そしていずれ片方が負け、残った方も自分の価値を下げきってしまっているので生きる気力を失うような人生は、
ゆりかごからはかばまで身を削ってがんばりつづける日本人には定番です。
わたしもライバルとお客さんの犬になる競争をしたことがありますが、異様に疲れたのは、自分が猫だったからだと今では分かります。
こういう話をすると、自分の個性や強みなんて分からないと言われることも多いです。
でも結論を言えば、個性や強みがない人はこの世にはいないです。
なぜなら、ぼくらは数十億年分の進化の結晶だからです。
過去に役に立った遺伝子しか残っていません…、というか残れなかったのです。生存競争はそんなにあまいもんじゃあありません。
自分はこの世では負け組だと思ってしまっている人も、生存競争に負けすでに消えてしまった生命たちのことも考慮すると、実は0.000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%の超勝ち組なのです。(数字はテキトーにキーボードを打っただけ)
そしてさらに、未来に役立つかもしれない新しさはそのベースがあって見つかることで、
進化のために生命すべてを総動員する総当たりテストは、生命にとってはいつも最も大切な仕事です。……というか生きる目的です。(そういう視点からは失敗とか負けとかはない)(ぼくたちは生命という視点からは「ONE」)
もちろんみんなが同じだけいい思いができるとは言いません。
これは、誰かと比べての羨ましさや劣等感からは切り離して考える必要があります。
もしかしたら、一生に一度だけ全体のために役に立つなにかをもって生まれてきたかもしれません。
もしくは、あなたは進化の神様にとってはバックアップで、今世ではとくに仕事はないのかもしれません。
その場合はバックアップとして存在することが、まあ言ってみれば仕事です。
もし自分は今世ではバックアップなんだと自分を認めてあげることができれば、バックアップとしてのんびり生きるだけです。
そしてそれも人に安心感を与えるというとても大事な仕事です。
経営者は言わないけれど、会社にはバックアップ人材は必要です。
そして優秀な経営者ほどそこを厚くします。
全員ががむしゃらに働くよりも、20%の人が80%の利益をもたらしながら、それで成り立つ経営は、懐が深いので健全です。
そういう会社の特徴は…、雰囲気がいいです。
ちなみにマイクロソフト本社に勤めている友人曰く、そんな世界トップクラスの人材の集まりでも80%の人は毎日大した仕事もせずに遊んでいるそうです。(文字通り「遊んでいる」らしい笑)
人材にもいろいろなタイプがいます。
安定期には毎月安定して稼げるけど、ピンチになると足がすくんでなにもできなくなる人はいるし、
ふだんはあまり役に立たないけど、ピンチの時にだけなぜかとても元気になるタイプの人材もいます。
「ピンチのときには」という切り口だけでもこんな違いがあるわけで、その他の要素についても考えだせばきりがないです。
それはきりがないし、無駄だから考えるのをやめても、
基本的な信頼感でつながっているグループであれば、細かいことは言わずに毎日楽しくやれる仕組みにするだけで経営は成り立つし、
逆にがんばり過ぎると、ピンチ向きの人材を平常時に消耗させてしまったりして、思わぬリスクを生んでしまうこともあると思います。
自分が社長なら、いろいろなタイプの人材の存在を赦せるようになると経営の懐は深くなり、リスクにも強くなります。
全員ががむしゃらに働かなくても十分に利益が出る仕組みを作るのは…、というかどれだけがんばらずに利益を出せるか?を追求することが、経営者の仕事です。(もっとがんばらせるのではなく)
こういうことは、実利やリスク回避のためにはその方がいいとまでは思えても、実際に許せるかどうかは、メンタルの問題かなと思います。
たとえば厳しく育てられた人は、合理的なつもりで無駄のない経営をしていると自分では思っていても、自分でも気が付いていないリスクを抱えていたりする可能性があります。
それまで順調だったのに不況であっさり倒れてしまうような会社は、悲しいことに、がんばり過ぎてきた会社なことが多いものです。(遺伝的多様性のない動物が、外来種との生存競争や伝染病に弱い感じに似ている)
そして人材としての自分の性質について悩む人は、自分の在り方を赦すところから入ってみると、自分の中の眠っている性質に気が付くことがあるかもしれません。
そしてもし「そのままでいい」と思えたら、たとえば猫のままでいていいということになり、堂々と猫として社内にいればいいんだ、猫好きのお客さんに好かれさえすればいいんだ、と思えるかもしれません。
猫は、猫好きのお客さんに出会ったときに、最高の利益を受け取ることができます。
だからポイントは、自分が猫であることを理解することと、あとは猫好きの人に出会うこと、この2つです。
逆に、猫が犬になろうとがんばることほど無意味な努力はありません。
余談ですが、そういうニーディな姿勢は、いじめっ子クレーマーを惹きつける秘訣でもあります。苦笑
がんばらなければ成り立たない仕組みというのは、すでにビジネスモデルとして成り立っていない可能性があります。
そういう視点で考えてみると、がんばらざるを得ないときは「なにかを変えるとき」というアラートかもしれない…と見ることもできると思います。
(日本人が異様にがんばりすぎるのは…まあ戦後未だ癒えないトラウマだろう…悲)
♪♪We’re one, but not the same…