うまくいっている上司も親も最初のありがとうを忘れない

スーパーヒーロー映画をみていると、たまに可哀そうだなあと思うことがあります。

スーパーヒーローが最初にヒーロー活動で活躍すると、みんな口々にありがとうと言います。

だけどしばらくすると、うまくできなかったときに、責められたりします。

「あの災害のときにはどこへ行ってたんだ」「なにしてたんだ」

いつのまにか、義務みたいになっている。

そうすると、最初の「ありがとう」は何だったんだろう?という気がしてきます。

そしてスーパーヒーローはだんだんと、大衆に褒められる報酬と責められる罰でコントロールされるようになり、働くのをやめられなくなっていってしまいます。

 

子育てでもこういう場面はよくあると思います。

子供がお手伝いをしてくれると、ふつうは誰でも嬉しくなって褒めます。

でもいつの間にかそれがスタンダートになり、次第に最初のありがとうという気持ちは消え、

いつの間にかそれをしないことを責めるようになっていってしまうことがあります。

自分が子供のころ、そういう思いをしたことがある人は多いでしょう。笑

 

部下との関係がうまくいっていない上司は、こうなってしまっていることが多いものです。

良識ある人は、最初は協力的です。

上司をサポートしたいという気持ちで、進んでいろいろと引き受けてくれます。

でもあるときからそれがスタンダードになっていくと、進んでやらない人との間に格差がうまれてきます。

それが仕事量の差なら問題はありません。

貢献してくれた人を感謝の気持ちとともに評価すればいいからです。

でも多くの場合は、協力的な人ほど、やり損になってしまう。

最悪の場合は、進んでやって、失敗したりすると、無駄に怒られたりしてしまう。

そして、あるとき「使われているなあ」と気が付いてしまうと、ばからしくなって離れていってしまいます。

そうやって、組織が中心の近くから崩壊していくことは、近い人にほど厳しくなりがちな日本の組織には多い気がします。

 

部下との関係がうまくいっている上司は、最初のありがとうを決して忘れません。

上司とは、部下が自分事のように進んでやってくれたら、本当に本当に心から嬉しいものです。(そういう人材は本当に少ないから)(←上記のような子育てで育った人が多いからかな)

その気持ちを忘れないと、助けてもらうたびにまるで初めてそうしてもらったときのように感謝をすることができるし、そうしないことを責めたい気持ちにもなりません。

でもそれは人間関係テクニックとしてのありがとうではなく、純度の高い「ありがとう」だから、自分に嘘をつきながらはできません。

だから最初の気持ちを、意識的に感じる時間をもちます。

具体的には、瞑想をして、人をコントロールしたい欲望からひとまず自分を切り離し、今あるものに意識を注ぐ…

出会ったころの写真を見返してみたり、また、その人がいなくなったら?と想像してみたりするのも、少し刺激は強いけど効果的です。

そういう時間を生活の中で意識的にもてると、安易なマネジメントテクニックのように不安定ではない、本当に安定した関係を築くことができます。

 

 

ヒーローでもとくにこの人たちは理解されないことが多い気がする。

二人とも、ヒーロー止めないでね!

 

ところで、部下を褒めるのも大事だけど、日本人はとくに、リーダーを褒めなさすぎな気がする。

リーダーをやりたいという日本人がいなくならなきゃいいけど…

 

 

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