最近壊れて良かった、ある自分の観念の話
魔女狩りって怖いですよね。
思い込みで人を火あぶりにしてしまうのだから…
そしてあとになって魔女なんてもんはいなかった…ということが判明しても、魔女狩りをした人が裁かれることはない。
人を火あぶりにするとはいったいどのくらいの罪だろう?…なんて考えてみると、世の中の善悪の基準とはなんなんだろうな?と思ってしまいます。
そして最近ならマスクをしないとか、夜の街で遊んじゃったとか、注意していてもコロナにかかっちゃったとか、
今ではテレビを筆頭に、日本人は魔女狩りの快感を貪るウイルスに感染しまっているようにみえることがあります。
外国なら意見が割れる話でも、どんなときにでも、戦争にさえ、盲目的に一丸となってしまうのが良くも悪くも日本人で、
「マナー違反」の人をみんなで追いかけまわすハンティングを楽しむテレビ番組(それが「報道」番組って…)をみたりすると、(そしてそれはそれを喜ぶ視聴者と一丸となることで成り立つ共同作業で)
多数派の自分は正しい、ルール側にいる自分は絶対的に正しい、自分こそが唯一の神だと信じる統一的で危ないタイプの一神教を見ているようで…
どちらがどちらかといえば、そして神さまの観点からは「悪」なの??と…
ᘓᘙᘑᘜモヤщ(°ㅂ°щ)モヤᘡᘑᘞᘝᘝ…と感じるのです。
とはいえそういうわたしも最近、自分の思い込みについて大きな気付きがあったんですね。
実は最近なぜかこの昭和生まれの脳に大量のアップデートが降り注いでいるのですが、
でもあまりにも恥ずかしいものばかりなので、そのうち一つだけ紹介しますね。笑
それはたばこについてです。
わたしはたばこが嫌いなのですが、とにかく煙が苦手なのです。
だからこれまで、たばこは身体に悪いとか副流煙が迷惑をかけるとか、いろいろそれらしいことを主張してきました。
たばこに関しては、わたしこそが唯一の正義!もしかしたらネ申かも?と思いこんできたのです。(^▽^;)
今回なにが判明したかと言うと、
わたしはただ単に「火が怖かっただけ」ということでした。
動物が火を恐れるのは当たり前で、だから煙を嫌うのも当たり前です。
人間は怖いことでもメリットがあればやれる程度には進化しているけれど、でも嫌いという感情まではコントロールできていません。
わたしも本当は火が怖いだけだったのに、脳は完全に「たばこは悪」という物語構築モードに入ってしまっていたのです。
今回、「あのさーそれ火が怖いだけじゃないの?」という妙に悟った友人の衝撃的な一言で古い観念が一瞬で吹き飛んだわけですが、笑
それまで一生懸命構築してきた「たばこは悪いもの」という理論はなんだったんだ?と思いました。
それは魔女の話と似ていて、「自分とは違うタイプが気に入らない!」という感情がおそらく先だっただろうと思います。
そして次に、もし相手がマイク・タイソンだったらそうはならないのに、自分よりも弱かったり社会的に不利な立場の相手であれば排除に動いても大丈夫!という無意識下での判断が行われ、
非常に正確に自分の安全を確保した上で、気に入らない相手を排除したい欲望が全開になる…
なんと動物チックな…
(この人に面と向かって単独で言えるならそれは本物の正義かも笑)
もちろんたばこが嫌いなことはOKだと思います。
そしてそれを自分の要望として主張するのもOKです。
でもニコチンと身体の相性が良いタイプや、
また火をそれほど恐れないタイプもいるらしかったりと、それも人それぞれです。(そういうタイプが太古の昔に山火事のあと「焼けた肉は美味しい」ということを発見しただろう←ありがとう)
ただそこは、たばこのマナーを別の問題の踏み絵のように使おうとする自分がいたりと、どこまでが本当にたばこの問題なのか?はとてもあいまいです。
さらには、思い返すとわたしはたばこに寛大な日もありました。
たとえば友人がとなりで楽しそうに飲んでいるときにたばこを吸っても、少しも嫌な気分にならなかったこともたくさんありました。
だからたばこはわたしの無意識の領域にあるなにか精神的なスイッチの一つで、
どういうときにそれがONになるのかを考えてみると、
たとえばわたしが不自由なときに自分の快楽に正直な人に感じるいらだちだったり、統計的に過去に自分に危害を加えたタイプが喫煙者だったり、あとはそんな相手でも自分が正義?を駆使すれば勝てるかもしれないという無意識の計算…など、
過去に火で恐ろしい目にあったと思われるわたしの遺伝子の特性はおいておいたとしても、
そのスイッチが反応する状況に、実はたばことはあまり関係がない、自分でも十分に認識できる「わたし特有の観念」が隠れていたのでした。
あとは余談ですが、
わたしはWeedはなぜか平気で、昔アメリカでハウスメイトの部屋から不思議なにおいが漂ってきても、なぜか嫌な気持ちにはなりませんでした。(副流煙に含まれる物質のせい?笑)
大麻は今ではカナダやアメリカでは合法化が進んで、寛大な世の中になってきたなあなんて思います。(たばこ問題がようやく解決したわたしに言えたことでもないが)
アメリカ人がすごいなと思うのは、合法化にともなって過去の大麻の罪を帳消しにしようとしているらしいことです。(勘違いで火あぶりにはしてしまったけどなんとか償おうとしている。自分の非を自分から認めようとしている)
ちなみにそもそもアメリカで大麻が違法になった経緯も、わたしのこの話と同じで煙への恐れに過ぎなかった可能性が高いそうです。
現状日本では大麻問題を起こした人は火あぶりにされていますが…(まあ本当のしけいになる過激な国もあるらしいのでそれよりは多少はましかもだが)
この流れで行くと、近い将来には判定が真逆になるだろうということが予想できるので、
あとで間違えた魔女狩りをしてしまった罪悪感に苦しまないためにも、可能な人から感じ方を変えるプロセスへ入れるといいと思います。
日本でも少なくとも医療で早めに使えるようになったら、楽になれる人は多いだろうと思います。
最後は、いつもの無駄の削減の話です。
わたしは自分の人生の貴重な何十時間かを、たばこに腹を立てることに費やしてしまったわけですが、
もしこの気付きがなかったら、将来に渡っても同じ割合でそういう時間を過ごしただろうと思います。
でも今回、その時間は幸運にも削減されました。
今後わたしは、その腹が立たなくなって空いてしまった時間をなにに使うか?を選ぶことができます。
思い返すと25年間くらいこうやって一つ一つ感じ方プログラムの書き換えを心がけてきましたが、それは自分の人生において自由時間が増えるという好ましい変化につながってきたと感じています。
わたしの遺伝子の歴史は何十億年分とあるから、まだ気がついていない古い観念もたくさんあるだろうと思いますが、
新しく増えた自由時間を使ってこれからも趣味として続けていきたいと思っています!笑
毎日の仕事でも、
部下に腹を立てている時間、お金を恐れている時間、政治に怒っている時間など、人それぞれ生まれ育ちからくる古い観念による感情に振り回されてしまう時間もあると思います。
でもそれらに現実的には翻弄されながらも、一方では瞑想をしながら「感じ方が根本的に変わる」ような方向性を模索することは、
せっかちな自分のエゴには遠回りのように感じられても、うまくいくとその問題の大元から枝葉までまとめてごっそりと変化するので、合理的だなあと感じているのです。
今日の一曲
古いルールを破りまくるスヌープおじさんは、アメリカ中のお茶の間で老若男女から愛されている
簡単にはジョーカーを引かない強さを見せてくれるからかなあ
それを愛するところもまた…新しくて羨ましいのう
ホワイトハウスの前でぷかぷか…
今は時代がスヌープに追いついて、ワシントンD.C.でも合法に
スヌープとマーサはベストフレンズ
マーサはインサイダー取引で実刑になったが、社会のほとんどにはもうすっかり許されている感じ
間違えても罰を受けたなら切腹は不要…
そして旧いルールが今も正しいのかを常に検証できる社会が…
たいへんではあるだろうけど、なんとも合理的で
うらやましいのう
今日はもう一曲
17:13 Jammin’
おお~なにかとつながっているなあ~~という感じ
そのあとに漂う煙で納得!笑