瞑想で自分を癒すのは、おサルから人間へ進化するため

人間が瞑想できるのは、神さまからのギフトだなあと思います。

人間が人間らしい苦しみを感じるのは考えることができるからで、それはまあ本当はギフトなんだろうけど、

人間はそんな自分のギフトの扱い方をまだマスターしていないから、

思考力は基本的に自分の脳内の「動物脳」の支配下にあり、生存本能のために使われるにとどまっていて、

現状では「人間」というよりも「ものすごく賢いおサル」の域を出ていません。

本当の意味で人間として思考力を活用できたならば、地球上に解決できない問題はほぼないだろうと思いますが、

でもぼくらの恐れた生存本能が、自分個人の目の前の生き残りとはあまり関係のないそんな悠長なことを許すとは思えないので、

そうなれるのはもう少し先のことだろうと思います。

 

今できる一番人間らしいこととしては、自分の苦しみを癒すことではないかと思います。

そうすると生存や勝利への過剰な執着が減るので、最初の話の、思考力の扱い方という意味での選択肢が増えることにつながっていくと思います。

人間の苦しみとは、長い生存競争の中で体験してきた恐怖に思考が加わって、いつでも脳内で思い出せるようになってしまったトラウマのようなもので、

その苦しみは動物同士お互いに与えあってきたものなので、トランプゲームでいえばジョーカーのようなものかなと思います。

なのでそんなジョーカーは地球上にもともとあった…と言ってよく、ぼくらはそれを生まれ育ちにおいて引き受けます。

生物として体験してきた生存競争の厳しさを思い返すと、なんのトラウマも引き受けていない人は一人もいないだろうと思います。

 

 

自分が苦しみのジョーカーを人生のどこかで引き受けた場合は、自分の選択肢は2つあると思います。

一つは自分よりも弱いだれにか渡すこと。引かせること。

もう一つはそれをカードの束から抜いて、なにかの縁があって自分が引き受けたもの…と腹をくくることです。

しかし自分が引き受ける場合は、なかなかやっかいです。

自分の中の生存本能はそんな負けを基本的に許してくれないので、ここからは自分の生存本能との粘り強いやりとりが必要になります。

 

瞑想が力を発揮するのはそういう場面です。

瞑想をすると、自分の生存本能の恐れの声が聞こえます。

目を瞑って呼吸に意識を集中しようとすると脳内を駆け巡るそんな声が聞こえてきますが、

それは瞑想をしたから出たというよりも、それが実は通常運転状態だった…ということがわかっていきます。

 

そんな生存本能(=エゴ)による思考(というか感情)とは、どう向き合っていけばいいのか?

できるのは、ただ話を聞いてあげることだけです。

話をジャッジされずにじっくりと聞いてもらいながら育った子供は荒れることはないことから、(幼少期にジョーカーゲームで負かされなかったから)

やることはいわば自分自身のエゴを子育てするような感じです。

 

それまでの人生で溜まったジョーカーを浄化ーするには、どのくらいの時間が必要か?

それは人それぞれで、人生において受け持ったトラウマの大きさによると思います。

比較的楽な人もいるかもしれないし、一生かかるような人もいるかもしれません。

いずれにしても、瞑想には間違いなくそれを癒やす力があって、

逆にそれ以外にジョーカーを「浄化ー」する方法は、(おじさんはしつこいよ)

今のところ思いつきません。

 

 

 

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