ねこ祭りは新しい懺悔
この前旅番組を見ていたら、穏やかなナレーションが怖いことを言っていた。
昔その地域では、猫は悪い存在とされていたとかで、生きたねこを塔から投げ落としていたそうだ。悲
でも時代は変わって、いまでは犠牲になったねこたちのための「ねこ祭り」をやっている…という流れになって少しほっとした。
自分が悪だと恐れる対象への自分の対処こそがどちらかと言えば悪、というようなことはあると思う。
善悪がまだない時代には、ただの生存競争だった。
でもやっぱりみんなしにたくないから、罪悪感を元とした「善悪」という考え方を生み出した。
そしてお互いに抑えようねとがんばった。
でも恐怖に負けそうになると耐えられず、その善悪すら武器として使うようになってしまった。
猫もむかし魔女と呼ばれた人たちも、そういうどこかしっくりこない「正義」の犠牲となった。
善悪というのは絶対的なものではなくて、まあこんなもんかなという気がする。
きっと今現在も、あとから考えたらおかしな正義で、ただ勝ちたい一心で、奪いたい一心で、ぼくらは人を裁いている。
でもねこ祭りにはなんか感動した。
罪悪感で抑えるだけではない感じが。
猫のために復讐を!じゃなくて、みんなで猫の格好をしてねり歩く。
後悔は消えないけどこれからは猫を大事にしたい!という気持ちを表現する。
ぼくのなかにも「悪を裁きたい感情」は正直ある。
だけどその感情をできればねこ祭りみたいな感じに変換できたらなあと願う。
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