わかりながらあえてやる~最上級レベルの問題解決方法への挑戦
感じ方が変わると、問題自体が消えるので、
問題を根本的に解決したい場合は、これ以上のルートはないかなと思います。
たとえば、昭和生まれのわたしが会社経営で自分の上下関係マインドを卒業したかったとき、
「上下関係をしたい気持ち(コントロールしたい、支配したい、認められたい、大事に扱って欲しいなど)」を抑えるのは、とても難しいものでした。
我慢は、できるときとできないときがある。
そして我慢した分は消えてなくなったわけではなくて、どうやらどこかに溜まっている。
そして出やすい場面でそれは出てしまう。
気が強い相手と弱い相手とで対応が変わったり、または家に帰って自分より小さい相手に厳しくなってしまったりと、
我慢はその場しのぎにはなっても、根本的な解決になっていないんだなあと、あとで振り返ると分かります。
そんな中、感じ方が変わると、問題は消えます。
文字通り、消えます。
そもそも「そうしたい」と感じなくなるのだから、問題は起こりようがありません。
そして我慢しているわけではないのでストレスも溜まらず、ハッピーです。
わたしの場合は、上下関係をしたいという気持ちがほぼ完全に消えてしまって、その後どう振る舞えばいいのか?が分からなくなって混乱したことがありました。笑
それまで自分が引き寄せていたタイプの摩擦は、いつの間にか問題ごとごっそりと目の前から消え、人生の構造が変わってしまいました。
今になってみると、上下関係をしたいから(だれかにとっての重要人物になりたかったから)、それが存分に体験できるタイプの問題を引き寄せていたのかな?とすら思います。
エラそうにしたいような気持ちは、もうほんの少ししかないです。(あるんかい笑)
では、どうすれば感じ方が変わるのか?
それは個人的には、「わかりながらやる」しかないと考えています。
「わかりながらやる」は、問題を根本から解決したい、あとでふりだしへ戻るのはいやだ、と考える合理的なタイプの人には、少し大変ではあるけどおすすめです。
「マインドフルに生きる」も本質的には似たような意味かなと思います。
古い時代からくる自分の中の生存本能の意図を理解しながら、それがあることをひとまずは赦し、
わかりながら食べ過ぎる。
わかりながら散財する。
わかりながら依存する。
わかりながら金儲けをする。勝つ。
わかりながら他人の承認を集めることに翻弄される。
わかりながら上下関係をしてみる。(分かりながらだと恥ずかしいが(笑)その感情も活かす!)
わかりながら子供を理不尽に怒る。(のは分かりながらでは悲しすぎてできないから、これは本気で直視すればあっという間に感じ方が変わるかも!)
などなど、もしその衝動が消えたら人生が劇的に楽になるようなケースはたくさんあると思いますが、
分からずに無意識にやっているあいだはそれらは単なる欲望だけど、
分かりながらやってみると、それらは欠乏感という苦しみだったんだ…ということが分かってしまいます。
苦しみには、人生で大切なものを思い出すため…など、ぼくらにはまだ必要なタイプのものもあるだろうと思います。
ただもしかしたらそれ以外の、いま人生で感じている苦しみの多くは、その欲望がもう無意味だから苦しんでいるだけなのかもしれません。(糖質を貪り食いたいとそもそも感じなければ、我慢することへの苦しみも、痛風の苦しみも、ないのだから…笑)
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感情を抑えるのは難しいですが、それを感じないようになるなんて、さらに難しそうですよね。
こんなことを言うとがっかりするかもしれないけど、でもできなくてもいいんですよね。
そこはどうやら自分のコントロール下にはなさそうです。
「いやあ無意味だなあ」と思いながら、やりたいと感じる間は思い切りやって、それはそれで人生のギフトなのだから目一杯楽しむ。
仮にそのままなにも変わらず、脳内の快感物質に翻弄されたまま人生が終わったとしても、とくに問題はない。
というか、それにもまた異なる意味もあるかもしれない。(極端な例では暴力が矛盾しながらもなにかを守ることもあったりと)
でも意識しながらそれらを受け取ると、ある日突然「そうしたかった感情」が消えてなくなることも、たまにある。
もしくはあなたの3代末の子孫があなたが気がついたことがきっかけとなった遺伝子スイッチの変化で、そうなる。
またはあなたはたすからなくてもあなたを参考にしたあなたの友人が、たすかる。
こういうことはぼくらが完全に理解できるようなことではない、ずっとグレーのまま進む「大きな進化の流れ」なのではないかと思います。
いずれにしても、その消えてなくなる部分はおそらく進化の神さまの仕事で、ぼくらに直接的にできることはなさそうです。
ただそこは、人間は動物とは違うので、化学反応を早めることはできるかもしれません。
人間にはせっかく能動的に考えることができる脳があるのだから、それを使って「昔は必要だったけど新しい時代には不要になったもの」を洗い出していくことは可能です。
「洗い出す」とは、やりたいと感じながら…無意味だなあと思考しながら…あえてやる…という作業。(というか「修行」か。単に我慢するよりも心理的抵抗ははるかに大きいので…苦笑)
そして洗い出したものが不要なら早速手放していきたいところだけど…
でも実際に脳からそれが消える部分は天におまかせでいい。というかそうとしかできない。
それが「わかりながらやる」チャレンジ。
それはきっと人類の進化への自分の生まれ育ちなりの貢献になると思います!(Which means you’re very important for humanity.)
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