だれかとお別れするまえに念のために確認しておきたいこと
個人的には、お別れは悪いことだとは思っていません。
お別れすることで好ましい方へ向かうことは多いと思うし、むしろ決別ができないことで苦しむ人がとくに日本人には多いと思うからです。
そういう相談をされると、多くの場合、応援することが多いです。
ただ、誰かとお別れしたいときには、念のために考えておいた方がいいなあと思うことがあります。
それは、人は、とくに日本人は、素の自分を一番近い人にしか見せられない…という心の縛りがあることです。
楽しい気持ちもストレスも、一日の生活の中のどこかで、素の自分を出す必要があります。
内でも外でも出さずにいようとすれば、それはトイレにいかずに生活するようなもので、とても不健康です。
心の縛りが多い日本人にとって、素の自分を出せる相手とは、自分から簡単に去れない相手のことが多いものです。
結婚しているから去れない相手や、自分を必要としている子供など、素の自分は相手を見て、大丈夫な場合にだけ出てきます。
そしてふだん外で我慢している人ほど、そういうときに出てくるのはダークサイドなことが多いものです。
自分が決別しようとしている相手への怒りは、なんなのか?
それはただ外で抑えたものが出ているだけかもしれません。
そういう日は誰にでもあるでしょう。
また、相手からさらにもっと愛情を引き出したくて、問題を起こしている可能性もあります。
それから、相手が自分のトラウマをあおるような存在なこともあって、
その場合は、相手への怒りだと思ってきたことも、客観的にみれば「自己嫌悪」だったりすることもあるかもしれません。
考えてみると、これらの怒りはまったくの他人には通じず、愛されているという前提がないと問題にはなりません。
そう考えると、問題の見え方も変わってくることがあります。
自分が怒りを向ける相手は、自分が素の自分を出せる数少ない相手で、冷静にみるとそんなことができる相手は、この世にほとんどいません。
もし決別となれば、自分はなぜ腹が立ったのか?という自分の怒りの原因の大元は未解決のままです。
次にそんなことを手伝ってくれる…、正体不明の自分の怒りを引き出して一緒に直視してくれるような相手に出会えるのは、いったいいつのことになるだろう?
そもそもそんな相手は、この世にほかにいるのか?
…なんて考えてみると、腹が立って仕方がなかった相手にも、別の気持ちがわいてきたりするかもしれません。
この観点からは、友人すら遠い関係に思えてきます。
相手のダークサイドに耐えられなくて決別したいという場合は応援することが多いけど、(まあそれも自分のダークサイドと無関係ということはないと思うので、興味深いテーマではあるが)
自分のダークサイドによる相手への勘違いの怒りが膨らんでいるような場合は、こんなことを考えてみると、
この世にわずかしかいない、本当の自分を受け止めてくれたような人を、永遠に失ってから後悔するようなことにならなくて済むかもしれません。