異なる価値観の視点にあえてなってみる

わたしは何年間も子育てで家にいたので、すごく自分の時間があったんですね。

だから子供と一緒にドラゴンボールを全部読んだり、ドラクエをⅠから順にやってみたりと、少年時代にやり残したことを、いろいろやりました。

というかすべてをやり尽くして、少年期についてはもうなんの悔いも残っていません。

なにか子供と一緒に自分も小学生をやり直したような気分です。

 

話しがそれましたが、そうやって昔好きだったものをいろいろ見かえす中で、気がついたことがありました。

それは、「昔(といってもほんの30年ほど前)はひどかったなあ…」ということでした。

たとえばあるテレビアニメでは、「愛しているなら殴れるはずだ!」みたいな台詞がありました。

また、ちゃぶ台をひっくり返した上にさらに食事を作ってくれた奥さんにごめんなさいを言わせたり、スポーツでは生徒が心の内側までえぐられるくらい罵られたり、

こういうことが公共の電波で流れるほど「常識」だったなんてとてもショックで、

現代の感覚でそれを見ると、すごい違和感を感じました。

(それでももちろん過去の作品は好きだしリスペクトしています)

 

そんな風に悶々となっていると、ふと、自分の親の世代はその価値観の中で生きてきたんだなあ、と思いました。

わたしたちの世代(尾崎豊的な世代)は、そういう理不尽な感じを体験したから、自分の代ではそうしたくないと強く思って子育てなどをしてるけど、

でもそれはきっと親の世代もそうだったんだろうなと、ふと想像ができました。

たとえば一世代前の、物質的な裕福さがキーワードの世界なら、「自分の代ではどんな犠牲を払っても裕福になってやる」と強烈に思って当然だったと思います。

またさらにその上の世代は、「生き延びることこそが最優先!心になんてかまってられるか!」というほどの気迫だけを頼りに生きていたかもしれない。

そういうのはどこまで想像しても、本当の気持ちが分かるものでもないだろうと思います。

 

こうやって時代を超えて想像を広げてみると、先人も精一杯やったんだな、みたいに思えることがあります。

ぼくらの世代が取り組んでいるこれ(心の探求)は、先人がおかした間違いの修正じゃなくて「進化」、

ぼくらは敵や間違いと戦っているわけじゃなくて、新しくてもっといいものを探しているだけ、

という感じで捉えられると、もう少し楽しめるようになれるかもしれないななんて思います。

 

 

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