あなたは自由。わたしも自由。

大人は権力があるから、子供に対して「自分がルール」だと主張することは容易です。

でも自分のルールを、友人にいきなり押し付けることはありません。

自分が子供や部下に一方的にルールを課すようなときは、相手が去れない状況にあることを、自分のエゴは無意識にも計算しています。

 

もし子供に大人と同じだけの人権をあると自分が思っていたら、対等な友人との関係と同じように、ルールをつくるときには必ず話し合いがもたれるはずです。

たとえば「ここでボールで遊んではだめ」というよくあるルールも、「ここでボールで遊んでもいい」という権利があることを忘れていて、実質は権力です。

相手の権利を認めた上で対等の立場になるという選択は、立場が強い方にしかできません。

廊下で走るのも、宿題も、お手伝いも、本来は子供に大人と同じだけの発言権を認めたうえで議論がなされればフェアです。

 

「ここでボールで遊んではだめ」というルールがどうやってできるかを考えてみると、

一言で言うと、「そんな風に自由にボールで遊んでずるい!」という大人の中の子供が、大人の権力を使ってルール化しているような状態かなと、自分のケースで考えてみると思います。

自分の中の大人の思考は、瞬時にかつ無意識に権力を使うのでなかなか気が付かないけれど、脳内の活動をスローモーションにして観察すると、

誰かがボールで遊んでいた

それは自分は子供のころに禁止されていた

ずるい!

気にいらない!

よしやめさせよう!

でもいきなり否定するのは分が悪いから、そしてかっこわるいから、

権力でルールを作ったうえで責めよう

「ここでボールで遊んではいけません」(大人っぽく)

と、これだけの思考が、0.01秒未満に脳内で自動かつ無意識に展開されているようです。

 

一方的なルールの中で育った人は信じられないかもしれませんが、世の中には子供に大人と同じだけの発言権がある家庭で育った人も多いものです。

個人的に観察するかぎりは、そういう人は相手の言い分を聞く余裕があったり、ときに自分が不快な思いをしても譲歩することができたりします。

ちなみにわたしの親友はそんな一人で、彼は自分の親との関係と同じように自分の子供たちとの間にも上下関係がなく、そうなると子供は反抗をする必要がないようで、結局反抗期みたいなものはきませんでした。

反抗期という言葉は権力側からの見方なんだなあと、今は思うようになりました。(不良やテロみたいな言葉もそれに似ている)

 

子供に嫌われたらやっぱり不幸だと思うし、また会社経営であれば、部下に精神的に勝つことで逆に業績が下がる…みたいな悲しくて意味不明な不幸は避けたいものです。

上下関係の中で育った人には至難の業だと思いますが(昭和生まれ世代はみんなそうだと思いますが)、自分の中の勝ちたい衝動と、本当は幸せになりたい思考が健全に区別できると、

「わたしが不自由なのだからあなたも不自由でいなさい」から「あなたは自由。わたしも自由。」と、

これまで自分を不自由にしてきた衝動から自由になれるかもしれません。

 

こんな時期なので、子供と過ごす時間が増えているお母さんやお父さんも多いと思います。

そしてずっと一緒にいると…、自分の中にあったなにかが、むくむくと湧き上がってきてしまうこともあるかもしれません。苦笑

いろいろなことが不自由なこの機会も、自分特有の不自由への感情を直視する機会にできると、たとえば家族との新しい関係が発見できたりするかもしれません。

 

 

不自由な思いに苦しんだ人は、自由の価値を知っている…

 

 

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