子どもたちをいい子教育から解放してあげたいグローバルな理由

わたしは、日本で欧米人に英語で話しかけられても、いじわるではなく、まず日本語で答えるようにしています。

もし相手に日本語を少しでも話そうというリスペクトが見えたら、ようやく英語で答えるという感じにしています。

逆に外国へ行ったときは、もちろんまず現地の言葉であいさつをするし、ありがとうも当然言えるように学んでおきます。そのあと英語でOK?と聞いてから会話を始めます。(さすがに日本語は無理なことが多いので)

それは、そうしないと日本人全体として最低限のリスペクトを得られないと思うからです。

とくに仕事の場合は最初が肝心なので、シンプルなことですが気をつけてきました。

 

 

そういえば、フランスでの出来事ですが、空港で荷物が見つからなかったとき、カウンターの人が途中からフランス語しか話さなくなったことがありました。(←そんなことある??笑)

そのときフランス人VS中国人団体客+私で戦ったのですが、アジア人として明らかに下に扱われても少しも引かない中国人の皆を頼もしく感じながら、だれもお互いになにを言っているのか分からないまま、笑(わたしの英語はフランス人は理解していたはずだが)

最後はなんとかまともな対応を勝ち取ることができ、握手で別れました。

この体験以来、漠然と、フランス全体(と中国全体)に対してなめるような気持ちが少しもないのは、そんなやりとりがあったからかなと思います。

 

一般的なイメージとしては、外では控えめであることが善だと考える日本人とは違って、同じアジア人でも中国人と韓国人は一筋縄ではいかないイメージがあるようで、ある意味では欧米でもリスペクトを受けているように感じます。

一方でわたしのアメリカ人の友人は、行く先によっては少し謙虚になったり、またはリスク回避のためにアメリカ人だと思われないように振る舞うこともあるそうで、最近では中国を旅行したときに、カナダ国旗のピンバッヂを身につけて行動したそうです。

あのフランスの空港の人も、あのときはずいぶんいじわるだなと感じたけど、でも見方によっては…

たとえば本当のクレーマーが現れたようなときには、日本人の受付の人が逃げ場なく心を傷つけられてしまうのとは違い、全く大丈夫そうだなあと感じます。あの人が自分の子供なら、あの場面を見たら「正常だなあ」と安心する気がします。

どのケースも、善悪の話というより、個人として自分の身(心)をちゃんと守っているなあと感じます。

 

 

テレビで日本が好きでリスペクトをしてくれる外国人をみていると感じないけど、一般的には日本人を含めアジア人は、欧米では下に見られることが多い気がするのは、気のせいではない気がします。

欧米人がわるいという意味ではなく、白人のアジア人に対する無意識の領域まで含めた漠然とした嫌悪感情は、チンギス・ハンの話にまで遡らないと理解ができないらしく、

個人の考え方の違いや心がけでは片付けられず、複雑なものだなあと思います。

ちなみにアメリカ在住のアジア人同士は、国同士の政治とは違ってとても仲が良いイメージです。

 

優しい人もいじわるな人も危ない人もいるのは世界のどこでも変わらないけど、でもぼくら個人ではコントロールができない、国単位で捉えるべきリスクというのは確実にあります。

自分自身の、無意識や無知からくる偏見の扱いすらとても難しいと感じるのに、

相手が遺伝や言い伝えや受けてきた教育の影響で無意識の領域においてなにを感じるか?にいたっては、こちらにはどうすることもできません。

国として嫌われているケースも残念ながらあるし、また日本人はお人好し(善人とは違う意味で)だと思われていることなど、そこからうまれるリスクを個人としては回避できたらなあと思い書いていますが、

たとえば外国人に親切にするのでも、日本人同士がやるようにただ奉仕すればいいというものでもなく、まずは健全に警戒すること(嫌うことではなく、嫌われている可能性が現実的な理由がなにもなくてもあること)などを、わたしなら子供に伝えたいです。

これから外国とどんどん混ざっていくなかで、子どもたちにも、綺麗ごと抜きのリアルな世界での振る舞い方を伝えていく機会も必要だなあなんて思います。

 

 

とはいっても、新世代の脳は新型だし、得られる情報もネットのおかげですでにぼくらの世代よりも多いだろうから、

ぼくら大人(旧型)は、要するに彼らのじゃまをしなければいいだけかなと思います。

ただそのためには、彼らにとっては足かせにしかならない可能性が高い、日本人同士にしか通用しない「いい子教育」を、まだ若くて間に合ううちに解除してあげるべきだと強く思います。

ハイと返事させること、反論をさせないこと、整列せさること、へりくだらせること、親切を義務化することなど、挙げればきりがないのですが、

まとめるなら、それらを正当化する、大人が自分の影響力に酔いたいだけのいい子教育は、

人間にとって現段階ではまだ必要な武器や防具を、子供の人生から奪ってしまっている可能性があると、個人的には感じます。

そして、いい子教育をやめたら良い人間に育たないわけではなく、むしろいい子教育による義務感や罪悪感に駆られた良い子と、自分を削るわけではない心からの親切心は、真逆と言ってもいいほど別のものだと思うし、

むしろ本物の親切心が出てくるじゃまになっている気もします。

 

 

わたしの場合は、父が変わった人+超不真面目(な代わりにたまに出る親切は本物)なタイプなおかげで、いい子教育からは比較的守られた育ちですが、(うちは留学生も何人か受け入れていたし、見知らぬ外国人旅行者も泊めるような家だった)

そんなわたしでも教育によって染み付いた不自由を感じることはあるので、

「いい子教育だけが善」というような家で育った人は、自分では理解ができないリスクを抱えている可能性もある気がします。

 

ただ、そんな自分のリスクを健全に認識して回避できれば…、

スマホが言葉の壁さえ取り払ってくれるこの新しい世界を、次世代だけでなくぼくらの世代も楽しめるかもしれません。

 

 

 

ついにオリンピック!なので、なんとなくずっと勝手に心配?してきたことを書いてみました。

現代のおもてなしとは、自己犠牲や自分を切り売ることではなく、自分の世界を体験してもらうことだと思うので、

毅然と、温かいおもてなしができたらなあと思います。(そしてしたくない気分のときは、なんのりゆうもなく「しなくていい」と思います)

今回はお祭り騒ぎができなそうでとても残念ですが、外国人観光客への日本人らしいおもてなしを全開で楽しめるような世界に、またなってほしいなあと願います。

 

 

 

ランクルの中東でのワールドプレミアをわざわざリアルタイムで観てトヨタの人のスピーチを聞いて涙ぐむわたしは…

そしてアメ車はわりと好きなのに、アメリカでは日本車バッシングが残る時代でもあえて絶対に日本車にしか乗らなかったわたしは…

意外に祖国愛がつよいのだろうか??笑

先人たちが世界へ広めた日本の工業製品はぼくらの誇り。

ただあえて言うなら…

日本をトヨタだけだと思うなよー!

あとは寿司やラーメンやKOBEビーフやプレイステーションやニンテンドーやソニーや東芝や原宿や日産や三菱やスバルやホンダやスズキやカワサキだけだと思うなよー。(昭和の日本人すごいな…)

そして、ミヤザキハヤオやアンドウタダオやクロサワアキラやトリヤマアキラやノモやイチローやナカタやパフュームやホンダケイスケやオオタニサンも、まだ日本の個人の開花の始まりの始まりだぞー。(個人の先駆者たち…すごすぎる…)

子供の世代が世界へ向けて対等に楽しく花開くこれからが日本の本当の開国だぞーー!待ってろよー世界!

オリンピックでは、

メダルがとれたらもちろん嬉しいけど、それよりも新世代の日本人が世界と対等な心で、そして義務感や罪悪感ではない自由な心で楽しむ…そんな新しい感じを見たい!!

わたし…にほんだいすき。

(海外だとできるのに、なぜ国内で祖国愛を表現することは少し照れてしまうのだろう?笑)(でもせっかくオリンピックなので言ってみた!)

最後はこの曲で!I♡SAS!

 

 

 

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