一般的に言う「人格」とは毛づくろいみたいなものだと理解する

人格が高い低いというような世界で不自由を感じている人は多い気がします。

そういうわたしも、いい子になることをがんばってきたタイプでした。

どうやったら人格が高くなれるか、もっと言えば、要するに、どうやったら人に認めてもらえるか?をすごく気にしてきました。

 

でも考えてみると、「人格」とはお猿さんの毛づくろいみたいなもんだなと思うことがあります。

ちゃんと毛づくろいができる人が、群れの中で認められる。

要するに、それは群れのローカルルールに過ぎないのであって、絶対的な正誤や善悪とはあまり関係がない。

その群れの中で認められる必要があるならやればいい。

だけどそれは人格と言うよりも、生活のための「取引」に過ぎない。

たとえば、「マザーテレサやガンジーは人格が高い」というときの「人格」と「あいさつができる子は人格が高い」という「人格」は、

言葉は同じでも実際は異なる話ですよね?(同じ言葉でなければいいのに)

 

本当に人格が高くなることが素晴らしいのは間違いないと思うけど、「あいさつができる子は~」の方は単なる毛づくろい…、

人格というよりも猿格?、

なんて思えるとなんだか笑えるし、気が楽になると思います。

たとえば組織の中で閉塞感を感じているなら、

おれは本当にあの毛深いボスの毛をつくろいたいのかどうか?

そうまでして手に入れたいものとはなんなのか?

そう自分に質問することができると、やるならやるで自分のメリットのためにやればいいと割り切れるし、

やらないにしてもそのことについて罪悪感を感じる必要など全くない、ということが腑に落ちて、心が自由になると思います。(笑)

 

 

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