がんばりすぎな心の癒しに育児体験が効くと思う理由
今思うと育児休暇も、育児がしたくて飛び込んだのは間違いないけれど、「もうがんばれない」というような気持ちが隠れていたことに、あとになってから気が付きました。
引きこもってみると、子育ての体験も相まって、自分の人生がなぜ小さいころから慢性的に苦しかったのか?が理解できるようになっていきました。
人間関係でも仕事でも「ものすごくがんばっている人」は、自分がそうだったからわかるのですが、自分に無意識にも罰を与えているんですよね。(がんばることが楽しい人は別として)
そのくらいしなければ自分は認められない、自分の価値は自分ががんばった事柄の方にある、と思っている。
そして、良くも悪くも、自分に相応しいと信じている「がんばらなければならない」人生を選んでいる。
分かりにくいのは、がんばって認められると、自分のメンタルの構造が理解しにくくなることです。
がんばって認められると、もっとがんばりたくなる。
そして、がんばるほどに、がんばるのをやめることを恐れるようになる。
そうなるともう、人の評価の奴隷みたいになっていってしまうのです。
ただ、育児を体験すると分かるのは、親は子供に愛されることです。
無条件に。
がんばらなくても。
自分の親との関係が「がんばることで成り立つ関係」だった場合、無条件に愛される体験をその後の人生ですることは、子育て以外ではたぶんないです。(自分が無意識にも選ばないということもあって)
ただ、子供との関係は、本来は無条件の愛なんだけど、自分ががんばるとそれは壊れていきがちで、そのかつて壊れた名残が自分だったりします。
親とうまくいかなかったという人は、自分は親を愛したんだけど、親は受け取ることを恐れたんですよね。
親は自分が無償で受け取れないものだから、受け取り拒否をした。
そして、あなたにも受け取る前にがんばることを教えた。
がんばって生きてきた人ほど、子供の愛を受け取るのは恐ろしいものです。
でも子供は「もっと子育てをがんばってくれ!」なんて言ってない。
どちらかというと、もっと気を楽にしてほしい。
できるだけハッピーでいてほしい。
贅沢を言えば、毎日笑っていてほしい。
それだけでわたしたちは十分。
余計なことしなくいいよ。ちゃんと育つから。笑
でも親は勝手に、無駄に、がんばる。
子供の幸せと言い訳しながら、自分の恐れに負ける。
だから子供は、自分の成長なんかよりも親のほうが心配。笑
というか、そのせいで自分が育つ暇がない。
もし家がそんななら、この世に心の休まる場所なんてないですよね。
…と、そう育った子供があなた。(ではないですか?)(そういう子供をヤングケアラーというらしいです。NHKで特集をやっていました。)
自分の子供を自由にさせてあげることは、かつての自分を自由にさせてあげることと、脳内ではほとんど同じことです。
「がんばりなさい!」は子供に言っているようで、実は自分に言っています。
要するに、小さいころに親の期待を満たすほどがんばれなかった自分を責めているんです。
子供は、無意識にだけど、親にその傷を自覚させようとしている。
それは無罪だよと、教えようとしている。
それを自分がぼろぼろになるまでやる。
それは親に対してのかつての自分であり、自分を苦しめるように見えることすらある自分の子供の愛。
親がそんな自分の心の痛みを自覚できると、そんな子供の愛を受け取って、自分が癒されるしか、道がないことが明白になる。
そんな意味で、子育ては自分が癒されざるを得なくなる体験と言えると思うのです。