優しさという義務は果たさなくていいよ
「こういう言葉は優しい」
「こういう行動は優しい」
優しさをそういうリストにすることはできるかもしれない。
でもそのリストが優しさそのものであるわけではない。
本物の優しさを体験したことがある人は、それがどんなものかを感覚として知っている。
一方「優しさとは義務の一つ」のように感じてしまう人もいる。
優しさとは本来、自分の中から湧き出す愛のおすそ分け。
だから湧き出していなければ出すことができない。
「ないものは出せない。」
それは物理では当たり前の話でも、一般的には「がんばればどこからか出せる」と信じられているところがある。
ではどうすれば湧き出すのか?
それは本物の優しさを体験するしかない。
そして自分から優しさが湧き出していないなあと感じるときは、まずは差し出すのをやめること。
心の借金をしてでも差し出してきた自分は、なぜそうまでして出そうとしてきたのか?
あるふりをせず、
自分の中の優しさが枯渇しているなあ…と感じる自覚は、勇気。
まずは自分のそんな勇気を認めてあげよう。
わたしの朝のプレイリスト