子供を責めてしまうことについて

わたしの父は、自分の親に責められた量を10分の1くらいに減らしたなあと思います。

わたしも自分をひいきするようだけど、自分の親に責められた量を10分の1くらいには減らせた気はします。

 

ただそれでも、子供を責めてしまうことはありました。

それだけはやりたくないと思ってきたのに結果的にはやってしまったので、その場面について考えたりすると、大きな罪悪感を感じます。

 

そしてその罪悪感は、自分が責められたときに感じていた感情そのもの。

有能な子供でないことで感じた罪悪感を、だめな親であることの罪悪感として、再体験している。

 

責められると、罪悪感や無価値観を感じる。

罪悪感や無価値観を感じることに耐えられなくて、責めてしまう。

そうやって受け継がれるんだなあと思います。

 

考えようによっては、自分は親の罪悪感や無価値観を引き受けた。

そして子供は、自分の罪悪感や無価値観を引き受けてくれた。

子供をつくらなかった人も、無意識にもそれを自分の代でなんとかしようとしているのかもしれない。

 

わたしも本当は、自分の代でそれを完全に焼却してしまいたかった。

でも結果的にはできなかった。

それはまあきっと親も同じなんだろうな。

 

 

前も貼った気がするけど、あまりにもいい曲なので…

I don’t want to go away…

 

 

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