愛はやっぱり増える一方

快感は脳内の報酬物質が生み出す

それはなにかを獲得したときに強烈な快感を生み出したあと
消える

だからまたそれを強く求める

脳はそうできている

 

言い方を変えると
消えるために出てくるもの

消えた後の欠乏感を生み出すために感じるもの
とも言える

なぜ脳はそんないじわるな仕組みでできているんだろう…
なんて思っちゃう

 

ただの快感は
「また食べたい」とか
「おれはあれを食べたことがあるんだ」と周りに分かってほしいような
そんな欠乏感として記憶に残っている

でも愛は思い出すと「温かい」

時が過ぎてしまったことで寂しく感じることもあるけど

でも確かなことは
いまも温かい

そういう意味で愛は増える一方

 

昔、愛と快感の違いを知らなかった頃は
というか愛というものを理解していなかったときは
自分が求めているものが正体不明だった

でもここまで生きてきて
とくに家族生活を送ってみて
積みあがったものと
それ以前の虚しく消えていってしまったものを思い返すと

たとえば父の、分かりにくい愛なども
なんとなく思い出せる

自分もないのに
くれようとしたんだな
というようなことが分かる

「できればあげたかった」
という部分が愛なのかな

無意識だったとしても

 

傷つけられたような覚えはまああるけれど
でもなにか
奪われることが不可能なものも受け取ったような気がする

 

 

↑ほんとうに美しい曲

↑別バージョン

↑父親を理解したい人におすすめの映画

 

 

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