無意識に追い出すという愛もある
子供が親元を離れ、未来へ向けて旅立つ動機は、2種類に分けられると思います。
一つ目は、親からの愛情でタンクが満タンになり、「もう自分は旅立っても大丈夫だ」という気持ちになること。
好奇心が安定を上回る状態です。
私の友人の話ですが、彼のお母さんは彼が三男坊なので可愛くて仕方がないと私に話していましたが、当の本人はそんなことお構いなしに世界を飛び回り、家には困ったときにしか帰らないそうです。
もう一つは、どうしてもそこから旅立たなければならなくなるほど、「そこが嫌だ」という気持ちになることです。
「故郷が嫌い」「家はあるけど家庭はない」「家も家庭もない」などなど、
東京で出会った地方から来た友人の中にはそういう事情がありそうな人が何人かいました。
結果は、旅立つという点ではどちらでも同じです。
自分が親なら、もちろん愛情を注ぐ方を選びたいですよね。
でも実際、どちらの動機で旅立つのかは、運命が決めることになります。
ある場所には前者の方法でなければ行けないし、ある場所には後者の方法でしか辿りつけないこともあります。
新しい場所へ行き着けば旅立った理由を理解できるかもしれないし、それがそもそも何だったかはどうでもよくなってしまうかもしれません。
あなたは快適な場所から、自分の意志で去ることができますか?
私はできないタイプです。笑
私はかつてそれを「できる」と言い張っていたこともありますが、今ではそれは人間にはもともと備わっていない能力ではないかと思っています。
追い出されて、彷徨って、そして自分にとって素晴らしいところに行き着いて、それが大きな意味で「愛」だったと初めて知る。
それは追い出した人自身も理解することができない愛。
だから、追い出されたのではなく「旅立った」のだ!
そういうことでオーケーではないかと思います。