自分が体験して思った、生真面目な人が体をこわす前にやめたほうがいい11のこと
生真面目な人は、つい自分の意志に反してがんばりすぎてしまいます。
極端なケースでは、本当に体を悪くするまでがんばるのをやめれない…というような人もいます。
それは一時的に良い結果を生むこともあるけれど、長い目で見るとあまり良いことではないのは明らかです。
体に悪いものに依存すること
わたしは酒やたばこにはまったことはないけれど、パソコンに依存したことがありました。
仕事だからと言い訳しつつ、パソコンの前から離れらなくなってしまいました。
そのころは慢性的に気分が悪く、なんとなくいつも頭痛がしていました。
依存をやめようとがんばること
とはいえ、もしやめられなくても自分を責めるのは無意味です。
わたしもパソコン依存をやめようとがんばったことがありましたが、がんばるほどにストレスが増え、なお依存してしまいました。
依存の原因となっている大元の問題が解決しない限り、依存したい衝動が消えることはないようです。
嫌いな場所にいること、嫌いな人といること、嫌なことをやること
嫌いな人とデスクを向い合せても笑顔でいれたら、あなたの理性は黒帯レベルです。笑
でも普通は難しい。
一度きりのこの貴重な人生…
そんなことをする必要はあるのだろうか??
嫌な気分を選ぶこと
どうやら嫌な気分というものは「自分で選んでいる」らしいです。
認めたくはないけれど…
それはもちろん好きで選んでいるという意味ではなく、あくまでも自分を守るためです。
それは不意にやってくる嫌なことに対する心の防衛機能でしょう。
でも体には良くありません。
嫌な気分を我慢すること
日本では「がまんは美徳」だけど、でも「美徳が幸せ」とは限りません。
さんざんがまんしてきた人が病気になったりする反面、言いたい放題な人が長生きしたりすることはよくあります。
他人をむやみに攻撃したりするのでなければ、嫌なエネルギーを放出することは悪いことではない、と思います。
たとえば愚痴を聞いても平気な人に聞いてもらう…などはOKではないでしょうか?
諦めないこと
幸せな人は自分が自然に諦めない分野を知っています。
またあっさり諦めることを悪いことだと感じていません。
自分が諦めてしまいそうなのをがんばって踏みとどまっている時点で、それはもう終わっているし、体にも良くないものです。
終わっているものを手放せない、なにか自分でも理解していない理由…があると考える方が自然です。
がんばること
「がんばるという思考は病気だ」とある本に書いてありました。
上司に「がんばります」と言うとき、実はもう失敗する準備ができているものです。
その失敗を許してもらうために先回りして大騒ぎるすることを、人は「がんばる」と呼ぶのです。
そのために無駄に汗水たらしたり苦悩したり、そうやってぼろぼろにならないと相手は許してくれない…
そう思い込んでしまっている。
要するに「許してもらうためにがんばっている」のです。
やりたくないことをやること
子供は楽しいことなら何時間でもやっていられます。
わたしたち大人も本当はそうなんだろうけど、その感覚は忘れてしまっています。
もしかすると「がんばる」とは、本来「楽しむ」という意味に近かったのではないか…
現代では少なくとも2種類の「がんばる」があるようで、日本語はややこしいです。
「夢中」から引っ張り出された子供からはあまり生気が感じられないし、そうやって育ってしまった大人は老けるのが早いように思います。
避けられないことを避けようとすること
わたしがこれまでの人生の中で一番恐ろしかったのは、毎月末の会社の借入返済日でした。
月末が近づくと不眠症になったり、実際に具合が悪くなったり、いろいろなりました。
でも、その苦しみを見ないようにしたところで問題が解決してくれるわけではありません。
そう開き直れてからは直視することができ、いくらかは楽になりました。
楽になると不思議とのちに無事に完済でき、心が羽のように軽くなれたのは、あのとき開き直れたからかもしれません。
他人を変えようとすること
他人は変えられません。
説得したり、逆に同情をかおうとしてみたり、いろいろやっても結局のところ他人は変わりません。
変わったように見えたり、変わったように演技したりすることはあっても、その人の本質が変わるわけではありません。
相手を変えるために、または分かってもらうために、自分を苦しそうにしてみせたりするのは、その中でも最も無駄な苦しみと言えると思います。
自分を変えようとすること
「他人と過去は変えられない」に「自分」も加えてみるのはどうだろう?
自然に変わったり、変わらざるを得なくて変わることはあると思います。
でも、自分を変える…のは本当に可能だろうか?
「自分は変わることはできない」と思えると、「変わらない自分が幸せになるためには?」という新たな視点が生まれると思います。
わたしの場合
わたしは幼少期から「気を遣う子」と言われながら、常にがんばって生きてきました。
その結果、上記のようなことが積み重なったからだと思いますが、数年間うつになってしまいました。
まあうつの体験自体は悪いことだったとは感じていなくて、上記のようなことを盲目的にがんばってしまっていた自分に気が付くような体験だったなあと思っています。
ネガティブな方向へ向かってがんばるのは、好ましくない結末を求めるようなもので、生物としては矛盾しているのに、なぜかそうしてしまうんですよね。