言われたことをすぐにやらない子供に心がざわざわする
歯磨いてーとか、お風呂入ってーとか、
子供たちが母親にそう言われて、でもすぐにそうしないとき、わたしの心はとてもざわざわするんです。
最初は震度1くらいなんだけど、5回目くらいになると震度5くらいの不安感になります。(実際地震の不安感ととても似ている)
でも、子供たちは同じことを5回言われてもまだやらないし、5回言うほうも「まあ子供なんてそんなもんだろ」くらいの気持ちなのは、わたしも理解ができるんです。
だから、わたしの心のざわざわは、わたしだけの問題なんです。
うちの子供たちは学校も部活も一度も遅刻したことがないようだし、なにかができなくて問題になったことはありません。
育児書を読むと、家がなにをやっても大丈夫な安全基地な場合、外で起こることへ対処する余裕が大きいので問題はかえって起こらない…みたいなことがよく書いてあって、
「本当にそうだなあ」と実感しています。(わたし自身が学校で超問題児だったのと比較して)
ただ親にとっては、実際にそうやるのは大変だなあと思います。
同じことを3回言われたら人生が終わると思っている人は、日本人には多い気がします。
たとえば部活の顧問の人も、子供が3回同じ種類のエラーをしたら、その子の人生を終わらせるくらいの勢いで責めたりすることがあります。
でも悲しいのは、その人は「それが人生」だと信じていること。
本当に心の底から、3回同じエラーをすると人生が終わるのだと信じている。
そして自分はそうならないように教育しているんだ!と信じ込んでいる。
実際は、もともと大丈夫なものを壊すことになっていても……
わたしも子供がうまれるまではそういう考え方で、よく部下を責めたりしていました。(そしたら業績も下がりました)
たとえば他国と比べてみて、日本人が抱える独特の焦燥感や罪悪感や怒りなどは、いったいどこから来たのだろうなあと思います。
でも一方で、わたしが子供だった頃と比べてずっと、子供の人権は守られるようになったなあと感じます。
そしてこの流れで行くと、今の子供たちが大人になるころには、きっともっと良くなっているだろうと思います。
ぼくら大人が自分のダークサイドに気づけたり、その結果子供との関係が前の世代よりも良好になれるのは、
「5回くらい聞かなくても人生大丈夫なんだよ」と、親が鬼に変貌するリスクを背負ってでも、子供たちが体を張って示してくれているからです。
でもそう考えると、ぼくらが子供のころたくさん責められたことも、ぼくらもそうやって体を張ってなにかを癒したのかも、と少し思えます。
まあ心は傷だらけにはなったけど。
まだ休校が続く地域のお母さんお父さん、
子供との時間が増えることで、自分のダークサイドに直面している人、
そのダークサイドはもともとはあなたのものではなく、あなたはそれを体を張って引き受けただけです。
こんど心の中に地震が起こったときは、かつてそんな命知らずな挑戦をした自分を認めてあげる機会にできたらいいと思います。
子供はその協力者です。
子供たちがおとなのルールに従わないのも、また逆に従いすぎるのも、どちらも出どころは愛からなんですよね。たぶん。
(たのむからできれば4回目くらいできいてくれー…とは思うが…苦笑)