大切な人にはがっかりしたと言わないほうがいいらしい

最近わたしは「がっかりした」という表現を使わないようにしているんです。

それは育児書にそう書いてあって、なるほどと思ったからです。

「あなたにはがっかりした」という言葉や態度には、がみがみ怒鳴るよりも、はるかに人の心を傷つけるパワーがあるそうです。

 

そういえば昔読んだ経営本には、それがノウハウとして書いてありました。

マネージメントテクニックとしての「がっかりした」という表現は、簡単に説明すると、「あなたのことが本来は好きなのに、嫌いになりそうだ」と意味を含ませることによって、恐れや罪悪感を使って相手を動かすためのテクニックです。(もちろんそうはっきりとは書いていないけど)

しかもそうやって相手をコントロールしても、自分が悪者になることはありません。

 

あまりにも簡単に相手がコントロールできてしまうことは、脳内に強い快感を生み出してしまいます。

独身だったころはあまり深く考えずに使ったけど、でも結婚して子供をもつと、自分が自分の子供にそういうテクニックを無意識に使ってしまいそうで、なにか怖くなりました。

自分が良いと考える方向へなら人を変えようとしてもいいのか?というのは、子育てをしていて悩む人は多いと思います。

そこには「他人に影響を与えたい」「相手をコントロールしたい」という原始的な願望が隠れていることが多くて、それが自分の中で「教育」という言葉と結びつくとすごく危険だと感じてしまいます。

 

たとえば悪いことをしてしまった人の親がテレビのインタビューを受けて、「息子にはがっかりした」と発言するような場面を見ることがあるけれど、

そんなときわたしは、「あーそういう関係がそもそものベースにあったなら、悪いこともしたくなるかもなあ」なんて、不謹慎にも思ってしまうことがあります。

目に見えない形でコントロールされ(奪われ)続けた人があるとき爆発してしまうと、その人が「悪い人」ということになるシステムは、善悪なんて関係ないババ抜きゲームのようでなんだかすっきりしません。

 

厳しくコントロールされて(奪われて)育った人が、それを人にやらないことは、とても難しいと思います。

いい子にがんばってきた人ほど、心の預金も少ない分、至難の業ではないかと思います。

そんな「我慢した分の自分自身の欠乏感はどうしたらいいの?」というところは、このブログのテーマの一つだと思っています。

精神的に自由になったり、心が満たされたりすることは、後天的にも十分に可能だと考えています。

 

 

この曲はフィル・コリンズの実体験なんだろうか?

 

 

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