経営者になると不幸になってしまう人の特徴
現役の経営者は口がさけても言えないだろうから、わたしが代わりに言うと…
オーナー経営者の多くは、もう人を背負うなんてこりごり。
もし雇わなくてもまわる仕組みができるのなら、いくらかかってもいいから作りたい。
別れることが難しい、悪い結婚みたいな関係に縛られて身動きがとれないことに苦しんでいる経営者は、
心にそう秘めている人も含めるととても多い気がする。
暴風雨の中、人のために傘をさしつづけるなんてもう嫌だ。
個人保証をして、家族の運命まで差し出して、失敗したらすべてを失うどころか、
倒産とは犯罪歴なの?というほど、再起不能になってしまう日本の社会で、
ついにお給料を支払えなくなるまでがんばっても、だれも「今までありがとう」なんて言わない。
無料でやってもらったわけでもないのに、「今まで尽くしてきたのに」とか恨まれる。
それまでの安定を当たり前だと思われて、そんな地球上最高の贅沢を、「最低限の権利」とか言われる。
世の中では、器用な人ほど学級委員長にはなりたがらない。
そういう人は、謙虚なふりをして、一番下に陣取る。
責任を巧みに回避しながら、1円でも多く吸い取ろうとする。
そして、弱さというマウントポジションから、すきなことを言う。
それは、ネットでは匿名で発言する方が有利な感じと似ている。
出る杭が打たれる日本社会では、そこが最もコスパの良いポジション。(本当の社会的弱者は別として)
うっかり間違えて経営者になっちゃうような人は、そういう細かな駆け引きの計算がいまいちうまくできないので、いつの間にかそんな自称弱者たちの食い物になってしまう。
経営者になるなんて、その身を差し出してリスクを背負えば、誰にでもできる。
でも、やめるのは至難の業。
それはまるで奴隷のよう。
しかも働かされるだけでなく、人々の最低限の安定を背負わされ、責任責任とどこまでも追いかけられる。
責任を背負ってくれるだけでなく、収入まで保証してくれるような便利な人間を、だれも逃がしたくはない。
そこまでやって許される報酬は、よくて新入社員の5倍程度。
そして赤字にでもなれば、そんなわずかな蓄えなんて一瞬でふっ飛ぶ。
仮にうまくいっても、欧米のリーダーのように、スタンディングオベイションされることはない。
ふつうの感覚なら、とてもやってられない。
ではなぜそんな苦しみに自ら飛び込む人がいるのか?悲
自己犠牲の道を選ぶのか?悲
お金が欲しくてたまらない、自己中の塊みたいな強気な人のことは、心配してない。
そういう人は、自分の利益のことだけを考えて、経営者をやるべき。(これ褒めてる)
そういう心臓の強い人が、出る杭を打ち最低限?の権利を主張する社会とのタフな交渉に耐えて雇用を生み出し、社会を回す。
その対価として、一般比で10倍とか100倍の報酬を、人目を気にしないくらい強気なら得られる。
高級車にも隠れて乗らない。(隠れないと高級車に乗れない社長は多い…苦笑)
ゴーンさんにも、最初から気持ちよく100億円あげたらよかった。
総理大臣も、もっと報酬を上げて、そしてもっともっとヒーローのように扱わないと、優秀な人がなりたいと思わない。
そういう人がいなければ、この社会は、女王アリのいない働きアリの群れに過ぎない。
この、リーダーに質素に滅私奉公を求める風潮のままでは、全体がいつか破綻する。(そして村八分なんて痛くも痒くもない健全な経済人である中国人上司たちにみんな雇われるようになる)
欧米人が起業する動機は、一般的には「ヒーローになりたい」だったり「勝ちたい」だったりする。
高級車に乗っていれば、自己実現したことを、周りからあからさまに、大げさに、愛をもって称えられる。
出る杭を打とうとする卑屈な人ももちろんいるけど、逆にスタンディングオベイションしてくれる人はその何倍もいる。
サイレントはマジョリティではなく、マイノリティ。
褒める側も、出る杭を認めることで自分もそうなれる可能性を開こうとする、そういうポジティブなサイクルがある。
一方で、日本人の経営者の動機は、「褒められたい」が一番多い気がする。
それは、「ヒーローになりたい」と似ているようで違う。
ポジティブとネガティブくらい違う。
この「褒められたい」は、どこか寂しい。
すごくすごくがんばって、いつかだれかが分かってくれることを静かに待っている。
でもあまりにもだれも褒めてくれないから、仕方がないから夜の街へ行き、あれだけ苦労して稼いだお金を、少々の承認と引き換えに失う。
または、よく分からないまま仕事に没頭し、エンドレスに「素晴らしい人」として利用されることに、一生を捧げる。
そもそも日本は、アメリカと違って、褒めるための心のお金の流通量が極端に少ない。
日本人は、よほど幸運なケース(家系)を除いて、無償の称賛を浴びた経験はほとんどない。
わずかしか出回っていない称賛のコインを求め、みんな社会を彷徨っている。
みんな多かれ少なかれニーディに身を落としながら、がんばって生きている。
でもその中でも最悪なケースはたぶん、「褒められたい」という動機で自己犠牲の精神で起業すること。
これが社会生活における、最大のニーディのかたちではないかと思う。
オーナー社長みたいな、正気ではやれないほどの自己犠牲業を進んでやれてしまう場合、欠乏の赤字が子供のころから蓄積している可能性がある。
勝ちたくてギラギラした経営者のことは全く心配してないけど、(その場合はそこの従業員のことが逆に心配……うーん難しいもんだ)
褒めてほしい…というハングリー精神は、がんばっている人には言いづらいけど、見方によっては「心の病気」。
(ニーディについて書いたその他のコラム)
褒められたくてがんばる子供に必要なのは、褒められるよりも、褒められなくても価値があるんだ…という癒し。
そういう子にすごいねとかがんばれとか、みんな自分のメリットのために言うけど、わたしは言えない。
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日本は戦後、お互いを無償で褒めあうことができないくらい心が貧しい社会のままだけど、それはだれのせいでもありません。
それを理解したうえで、自分が経営者をやるのは「心が貧しいからなんだ」と自覚出来たら、行動が欠乏の衝動だけに依らなくなるので、
無自覚でがんばるよりもはるかに安全で賢明な経営ができると思います。
コロナは、迫ってくる支払いの問題もあったりして大変だと思います。
でも、わたしも不景気を機に人生を考え直しましたが、こういう機会でもないと、そもそも自分はどうなりたいのか?を考える動機は湧かないものです。
腹をくくって自分の動機の深い部分を直視した結果、あなたがニーディから卒業し、
欲深くて強気で自己中でいい人を演技でやれるくらいしたたかな経営者に生まれ変われるなら、経済人としては健全なので、わたしは安心します。笑
でも「褒められたい」という動機が根深いことが分かった場合は、自分の人生について考えてみる機会に、ぜひしてほしいです。
大衆の安心安全のための食い物には、絶対にならないでね!!
そういう役割は、リスクが多くの株主へ分散できている大企業に任せておけばオーケー。
なんでも一人で背負わざるを得ないオーナー経営者がやる仕事ではないです。
♪♪You Might Die Trying…!!!