他人に使われてしまう人の特徴

 

他人に使われてしまう人の特徴のずばり、「自己重要感を渇望している人」です。

自己重要感は「他人による承認や関心」と言い換えることもできます。

脳内における他人からもらえる自己重要感は、現実のお金や食料と同じか、もしくは上回ることもあるくらいの快感物質を放出します。(ぼくらは群れに依存して生きてきた動物だから)

 

わたしも、それらを手に入れるためなら、何でもやれてしまった時期がありました。

家業の負債を進んで背負ったのは、親族に認めてもらいたかったからだし、

あとは経営者として仕事で無理をすることで、周りから「すごいね」という承認がもらえるのも、体を壊すほど中毒になりました。

あとわたしはそんなだから、商取引でも乗せられることが多かった気がする…苦笑

 

あとはたとえばアイドルになりたい動機はいろいろあると思うけど、少なくともお金が目的というわけではなさそうですよね。(稼ぐだけならもっと効率のいい仕事はあるだろうから)

では日々の報酬はなにかというと、それは観客からもらえる関心だろうと思います。

人気が出て自己重要感が十分に補給されたあとは、今度はお金も欲しくなると思うけど、それまでは無料でも働ける。

なんなら授業料も逆に払えてしまう。

逆に事務所を利用してのし上がってやろうくらいの性質の人なら心配ないけど、

人間の心理を両側から利用する仕組みが賢すぎて(しかも子供相手で)怖いです。

 

この話は、「夢」みたいなワードについてよく考えてみる機会かなとも感じます。

夢とはなに?と考えたとき、それは大きく2つに分けられると思います。

自己重要感に満たされている人の夢は「自分がやりたいこと」で、

自己重要感に満たされていない人の夢は「他人から自己重要感がもらえること」です。

まれに両方のこともあるけど、すべてが満たされてもやりたいことな場合を除いては、後者と分類します。

(アーティストは両方かな?など、そこらへんを美化するとわかりにくくなるのでやめます。)

 

自己実現欲求と承認欲求は、とても良く似ているけど異なるものです。

前者を「夢」と呼び、後者を「脳内の、心の、食料」と呼ぶと、区別がつきやすいかなと思います。

脳にとっては他人の承認は食料と同じで、他人から関心や承認を得るとき、飢えているときに食べ物を獲得した時と同じ快感物質が、たぶん脳内では放出されているはずです。

そうすると後者は、やりたいと言えばやりたいけど、夢というよりも「おなか一杯食べてみたい」のと同じことに思えてきます。

わたしは夢でいっぱいなはずだった自分が、実はずっと後者だったことに気が付いてから、「夢」と「生存競争」が健全に脳内で分離して、生きるのが楽になりました。

 

今ある程度自分の自己重要感問題が楽になって思うのは、他人に使われる悩みは、他人というよりも自分の欠乏感の話だったなあということです。

自分を犠牲にすることを「やりたい」と感じた自分が怖いなあと思うくらい、自分は自己重要感の補給のためならなんでもやれてしまうタイプなんだなあ、ということを実感しました。

他人に使われてしまうことを悩んでいる人へのアドバイスとしては、一番大事なのは、自分が自己重要感を渇望していることに気が付くことです。

そして「やりたいこと」と「やらざるを得ない欠乏感」の違いを明確に思考することです。

欠乏感がない人や、自分のそれを自覚している人は、使われる隙がなくなるので、それで悩みは解決です。

 

とはいえ自己重要感が足りない間は、自分を差し出してでも得たい願望はなかなか消えません。

ただそうやって思考が明確になると、他人の承認を集めるための活動に無意識にも占拠されていた脳内に、空きスペースが生まれるので、

そこをまた他人の承認で埋めようとがんばるために使うか?

それとも自分の中にあるかもしれない本当の夢について考えてみる時間を初めてもってみるか?

というような選択肢がうまれます。

 

 

 

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