喜んでみせないのは恐ろしいもんだ…という体験談
しばらく前のことですが、
食事会である若い人が年配の人から贈り物をもらった場面に居合わせました。
それはとてもすごい贈り物で、温かい思いやりも含んだ喜ぶこと間違いなしというような贈り物でした。(高価だったし)
でもその若い人は、あまり喜んで見せなかったんですね。
そこになんの悪気もないことはわたしも感じたのですが、
もしかしたら心の中では喜んでいたのかもしれないし、そういう表現が苦手なタイプだっただけかもしれないけど、
とにかくほぼ無反応だったんですね。
その無反応を見たとき、
わたしは一瞬体がこわばるくらいに怖い気持ちになりました。
そしたら案の定3分後くらいに、年配の人は温かい笑顔から一転、「喜ばないのは失礼だ」と怒り出しました。
若い人は怒られてもなんのことか分からず、そのうち「そんなこと言われても…」と腹が立ってきたみたいでした。
この一連のやり取りに居合わせて、わたしの脳内ではいろいろな思いが渦巻きました。
うまくは説明できないけど、
まず、温かく見えるギフトにも請求書が付いているんだなあ…ということ。
このブログではよく書いてきたことで自分でも分かったつもりでいたのですが、
「さすがにこれは喜ぶべきレベル」と思い込んでいて、全体パッケージは見えていませんでした。
そして自分の無意識の恐怖感も、そうやって表面化するまで気が付いていなかったことが分かりました。
そして次に、その若い人はわたしが感じた恐怖を感じていないということです。
もともとの性格の違いもあるだろうけど、年代の違いからくる脳回路の構造の違いも感じました。
わたしは年配の人と若い人の間なわけだけど、年配の人の感覚に違和感を感じつつも、若い人のような感じ方もないんだなあと思いました。
そうなると、自分がこれまで「これは喜ぶべきもの」という前提があると「喜んでみせてきた…」ということが、自分が思ってきたよりも根深い話であることに気が付きました。
わたしは、性質と育ちの組み合わせから、
過去を思い返すと多くの人間関係で、人はわたしが過剰に喜んで見せる前提でいろいろ施しをわたしに与えてきたんだなあ…ということが見えました。
それはもちろん悪意であるはずもなく、そこがとても難しいわけだけど、(←a trap)
そして罰が当たりそうで怖いんだけど、(←and another trap…苦笑)
ずっと感じてきた違和感が、これまでになくはっきりしました。
そして自分も、自分は与えている方のつもりでそういうギフト…いや請求書をなんの疑いもなく発行してきたかもしれないなあと思いました。
相手が喜ぶときに自分が受け取るものは、心のお金です。
「ギフト」とは、人間が生み出した素晴らしい文化だと思います。
でも「喜ぶべきだ…」という考え方は、相手にお金をほぼ強制的に出させる…
もう本来の「ギフト」とはぜんぜん違うものだなあ…言葉は同じだけど…
と思います。
わたしは年代的にも2人の間な感じの脳なので、もちろん年配の人の気持ちもわかります。
もしかしたらわたしも、当事者なら同じ反応になったかもしれない。(でも少し脳が新しいから、かっこ悪くならないために隠したかもしれない)
喜ばせようしてそういう反応が返ってこないと、わたしの脳もやはり悲しい気持ち?損をした気持ち?自分を大事にされなかったような怒り?を感じると思います。
でも今回に限らず若い年代を観察していると、相手に態度の自由を認める感じが、もうガラパゴスではないグローバルな感覚になりつつあるように感じます。
(わたしも海外にいるときは大丈夫なのに、なぜ日本でだけそうなっちゃうのだろう?なぜ日本人がこんなに怖いのだろう?)
とはいえ自分も、心に余裕があるときは相手に反応を求めずに親切にすることもあるし、さらに余裕があるときは、相手に感謝させる負担を与えたくないので、なるべく気づかれないように親切にします。
だから性質や年代の違いもあるけれど、心のお金に余裕があるかどうか?も大きな要素かなと思います。
でもまあそれが年代の違いということなのかな。
昔はいろいろ足りなかったのだろうから…
何もかもが足りない中で、狭い国土の中で、人間関係を1ミリ単位で調整しながら、心のお金を1円単位で取引しながら、なんとかここまでつなげてきたそういう偉大な世代も、
やはり理解したいもんだなと思いました。
これはわたしの感覚ではとても恐ろしい出来事だったわけだけど、
そう感じない、自分の感覚に少しの疑いもない毅然とした若い人を、「心から羨ましい」と感じている自分に気が付きました。
とてもじゃあないけどわたしはあの場面で過剰に喜んで見せないなんて、恐ろしすぎてできなそうで、考えただけで心がざわざわします。苦笑
ぼくらの世代までは、言葉だけでなく態度など心の内側まで納税義務のようなもので管理されていた感じがあったと思いますが、
でも日本においても新しい自由の可能性が見えて、なにか未知の希望を感じます。
(若い世代、羨ましいな~。わたしもそういう時代に育ちたかったな~)
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