承認欲求と幸せを分けて考えてみる

これは、不思議だなあとよく思うことなんだけど、

たとえば甘いものや高カロリーのものを摂り過ぎるとだめだと言うし、

ギャンブルは依存すると危ないからと年齢制限があるし、最近ニュースでよくみる薬物などは厳しく禁じられている。

でも、なぜか同じ快感でも、承認(他人の関心や注目)の集めすぎだけは、誰も注意しない。

注意するどころか、夢や目標がはっきりしていることを褒めたり、ハングリー精神を称えたりする。

 

承認集めは、うまくいっているときはいいとしても、ギャンブル性が本物のギャンブルよりも強い気がして怖い。

他人の関心は有限だから(人間がもつ他に関心を払うための時間が有限だから)、だれしもいつかは獲得競争に負け、自分の元来の欠乏感に直面することになる。

その禁断症状は健康にも影響するだろうし、その欠乏感はときに命を脅かすことすらあるかもしれない。

人生全体で使うための燃料を前倒しで燃やしてがんばり、貯めておけない性質のものを、必死に集める。

依存や中毒がだめということなら、承認依存は最も危険な部類に入る気が、個人的にはする。

 

まあこれは欠乏感をもともと抱えている場合の話なので、健全な人は関係ないと思います。

わたし自身は健全ではなくて欠乏感が大きいタイプだから、承認を集めたいタイプの成功願望が強かったです。

そういう日々は、穴の開いたバケツで水を汲んでいるようで、とても疲れたし、辛かった。

 

自分がそうだと自覚してからは、子供に人生で成功してほしいと願うのでも、その内容が変わりました。

自分の子供には、理想的には、自己重要感は親が満たしてあげたい。

そして心が飢えていない状態で、「楽しいこと」をしてほしい。

楽しいことはいくらやっても、承認集めのような副作用はなくて、

楽しかったね!またやりたいね!とぞくぞくするのは、それがなければ生きていけない気分になる禁断症状とは違う。

もちろん社会的な成功を否定するわけではなくて、成功も、それをやることそのものが楽しいという動機からであって、

得られる他人の関心や注目は、心に必要不可欠な食事というよりも、おやつくらいのものとして楽しめたら、きっと幸せなんじゃないかなあと想像します。(欠乏しているわたしにはわからないが)

 

社会的に成功してもしなくても、幸せでいてほしい。

それが子供たちにとって幸せかどうかは本当はわからないんだけど、これが今のわたしに可能な、最善の思考かなあ。

 

 

では要するになにをするの?って、まあ「I LOVE YOU」と毎日表現するだけなんですけど。

愛があふれ出したサウンド。おじさんが歌うキュートな曲!

 

 

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