12年間の育児休暇で気が付いた自分の育ちや心の中のこと
わたしは、
「自分はなぜこう感じるのだろう?」
「いつからこう感じるようになったのだろう?」
「なぜ自分はいつも危機感でいっぱいなのだろう?」
「なぜあの人はわたしと違って平和そうなのだろう?」
「自分の思考回路はどういう仕組みになっているのだろう?」
「もし自分の心が平和ならその場合欲しいものはなんだろう?」
というようなことに興味があり、個人的に自分の感情の研究を続けてきました。
とくに育児休暇に入ってからは時間もあったので、来る日も来る日も自分の感情を観察してきました。
また、育児がわたしを刺激するテーマであったことも大きくて、意識的にそうするようになってから10年以上経ちますが、結果的に10年前の自分とは別人のような気持ちです。
周りの人もそう言います。(良いか悪いか別だが。笑)
それ以前の自分は、基本的に気分が悪くて荒れていたけど、競争や戦いに一生懸命でアドレナリンでいっぱいだったので、自分がそもそも苦しんでいたこともよく感じれていなかったなあと今では思います。
心の癒しは、自分への理解が進むと自然に進んでいくんだなあということを、強く実感しています。
育児を体験したい
わたしの場合は、仕事から帰って家でイライラしてしまう自分が嫌だったことで、「変わりたい」と思い始めました。(それまでは仕事でイライラするくらい忙しい自分のことを気に入ってもいた)
最初は育児に100%専念するというような発想はなくて、両立をがんばってみようと考えていました。
でもそもそも器用な方ではないこともあってそれは失敗に終わり、状況はどんどん悪化してしまいました。
そんなあるとき、家族生活をがんばらなきゃ!と温泉旅行へ出かけたのですが、帰ってくるとなんと空き巣に入られていて、大事にしていたものがほぼすべて無くなっていまいました。
そのとき心の中でなにかがぷっつりと切れてしまい、そのまま会社の事務所のパソコンへ行き(家のPCはとられたので)、遠く離れた長野県の賃貸物件を予約して、育児休暇に入ることを決めました。(もともといつか長野県の山の中で子育てがしたいと目をつけてはいたが、単なる夢の一つだった。)
実際に育児100%の生活に入ってみると、わたしの「育児に専念したい!」という願望には、自分がイライラしてしまう理由が知りたかったり、また古いものを手放したいという意味もあったり、いろいろな無意識の願望があったんだなあということが、後から理解できていきました。
そうやってほぼ強制終了のような形でビジネスマンを一時引退し育児生活に入ったわけですが、不思議と空き巣を恨む気持ちもいつの間にかなくなっていきました。
会社経営をやめたい
会社経営をしたい、というのは普通は夢だったりすることが多いと思いますが、わたしの場合は逆で「やめたい」が夢でした。
わたしの家は代々続く地元では大きな商店だったのですが、でも商売はうまくいっていなくて、家の中ではけんかが絶えませんでした。
それを見て育ったわたしは経営者という仕事に良いイメージはもっていませんでした。
でも、それしか知らなったことや、あとは実家には多額の負債もあったので、若かったわたしは「おれがなんとかする!」みたいなヒロイックな気持ちで起業してしまいました。
でも10年くらいやってみて、ビジネスは意外にも楽しかった半面、気持ち的に不自由であることや、あとはがんばればがんばるほどに、大きな負債を作った父への怒りが膨らんでいくことに悩みました。
会社経営は、始めるのはわりと簡単だけど、やめるのはその何倍も難しいことを実感していますが、
負債を完済し事業を売却したことは、三代にわたって続いた昼ドラのようなドロドロした家族のイメージが終了したということで、わたしにとっては「自己実現」と言えるものでした。
両親への感情を理解したい
事業で感じていた父への怒りは、実は母が父に対して抱いていた怒りだったなあということに、事業を売却したあとしばらくして気が付きました。
少しキモチ悪い話ですが、わたしが年齢的にほとんど返済不可能(若すぎて)な額の負債を自ら進んで引き受け、被害者となってそれを武器として父と戦うことを無意識に選んでいたことに気が付いたときには、大変なショックでした。
実際に父はなかなか手ごわい相手で、気を抜くとこちらの負債が増えているみたいな、どう考えても父は悪い人間としか思えないような状況でした。
でもそれは、母が常日頃言っていたことだったなあと、今ではわかります。
一方で、皮肉にもなんと父も、最初は自分の父親に対する同じ感情が動機となってヒーローのつもりで祖父から事業を引き受けた…ということも判明し、なんとも言えない気持ちにもなりました。
母は自分の結婚をとても後悔していて(夫も、嫁いだ先の土地も、義父母も、すべて嫌いだった)、わたしが生まれたことによって不幸が確定してしまったというような気持ちだったようでした。
小さいころのわたしは、そんな悲しそうな母に幸せになってほしくていろいろがんばった覚えがあるのですが、ただそれが成功することはなく、常に無価値観を感じていた気がします。
自分の不幸感はどこから来ているのか?という疑問への答えが理解できてからは、人生はずいぶん楽になりました。
もしかしたら三代かけて同じテーマに無意識にも取り組んできたのかも…なんて思いました。
無意識に欲しがってきたそれがどんなものなのか?
それを知らなかったことで、苦しい家族生活になってしまっていた気がします。
育児体験を通して気が付いたこと
同業者との競争などには絶対に負けないビジネスターミネーターのようなわたしでしたが、育児に専念するようになると、道端で花を摘んだりするようになりました。笑
最初は子供と遊ぶのもぎこちない感じだったけど、徐々に自分も一緒に楽しめるようになっていきました。
でも育児は楽しいことばかりではありませんでした。
むしろ苦しいことも多くて、子供を心配する感情や腹が立つ感情などにも直面しなければなりませんでした。
それまでの人生で自分が我慢してきたことや、無理やりがんばってきたことや、不安に感じてきたことなどのネガティブな感情が、どこに隠れていたのか?たくさん湧き上がってきました。
仕事に逃げ込めたなら楽だったのに、なんともう事業は売ってしまっていたので…、専念せざるを得ませんでした。苦笑
でも逃げ出せなかったおかげで(自分で飛び込んでおいてなんだけど)、家族生活というギフトを受け取ることができました。
また、親である自分の在り方が子供の心にどういう影響を与えるかというような超重量級のテーマには、まっすぐ向き合うほどに自分への理解が進みました。
同時に、幼少期からの「家族生活というものは100%苦悩」というわたしの中では当たり前だった固定観念も、少しずつ変化しました。
わたしの最大の願い
総じていうと、自分の心は、両親、というよりも母との関係で出来上がったなあという結論に至ります。
母との関係が、わたしにとっての世の中との関係でした。
そうやって無意識にも母に執着してきたからか、子供に対しても父親というよりは母親のような気持ちで接してきたなあと、振り返って思います。
わたしの成功願望や渇望感というような感情の目的は、要するに「母に認められたい」「許してほしい」それだけでした。
だから母との関係が理解できたり、母の気持ちが理解できたりする度に、自分が癒されたり心が自由になっていくのを感じてきました。
社会的な成功願望が自分の中から消えていくことには困惑しました。
でもわたしにとっての自己実現とは、母との関係からくる自分の渇望感の解明であり、家系に受け継がれてきた負の感情の理解であり、恐ろしいけれど腹をくくって受け取る家族生活であり、自分が子供のように人生を楽しむことを許すことだったりといった、言ってみれば「普通」の体験をしてみたかっただけだったなあという気がします。(わたしにとっては「異次元」だが)
わたしの願望の中で最大のものは、自分が子供を傷つけることなく、温かい環境で育ってもらいたいというものです。
でもこれには罪悪感や怒りが感じられます。
願い自体はいいとは思いますが、わたしが罪悪感を感じながら子供に接することは、歴史の繰り返すようであまりしっくりときません。(わたしの母も父もおそらくそうやってみたのだろうから)
できればこの罪悪感を子供の代に渡したくないなあと思いながら生きているけど、まあ子供は子供できっと大丈夫なんですよね。
わたし自身が自分が大丈夫だと思え、そしてこの人生を幸せだと感じること…
わたしの家系に代々続いてきた心の問題へは、きっとそれ以上の解決はないんですよね。