なぜ人は放っておくとマインドフルネスを失ってしまうのか?

たとえば、なにかに没頭しているときや美しい景色に言葉を失っているときなど、マインドフルな瞬間はたまにあります。

銀行口座にお金が増えたわけでもなく、フェイスブックでいいねをたくさんもらったわけでもないのに、そういう瞬間はなにか「満たされている」と感じます。

でも、「ずっとそうならいいのに…」と思うのに、なぜかその瞬間はあっけなく消えてしまい、なかなか戻ってきません。

なぜ人はそうやってマインドフルネスを簡単に失ってしまうのでしょう?

マインドフルネスを失う原因は「恐れ」

マインドフルネスが人生における「幸せの極み」だとすれば、その対極にあるのが「恐れ」だと思います。

恐れは、人生で体験することがある危機を、実際の何十倍何百倍にも膨らまして頭の中を侵食します。

でもそれはたぶん悪ではなく、自分を守ろうとしている、単なる危機管理プログラムです。

このプログラムは、現代人の脳の中で激しく暴走しています。

自分を観察すると、何気ない日常の行動の多く、もしかしたらほとんどすべてが、「恐れ」から始まっていることに気が付くと思います。

そこに、マインドフルネスが入り込む余地はありません。

マインドフルネスを放棄してしまう典型的な例

たとえば、子供と過ごす時間を楽しめない…という悩みをもったことがある親は多いと思います。

子供と一緒に生活できる時間は有限で、しかも思っているよりもずっと短く、だからとても貴重です。

でも、そんなかけがえのない瞬間が今ココに在るにもかかわらず、私たちは「心ここに在らず」状態になってしまうことがあります。

「一緒に砂浜で遊ぶなんていつでもできる…」

そんな風に思っているうちに、いつの間にかそういう日々が永遠に失われてしまったりするのです。

「どうしてあの瞬間を心から楽しまなかったのか?」

人生の晩年、そう後悔するかもしれません。

マインドフルネスと恐れは表裏一体

マインドフルに生きるということは、自分の中にある恐れに直面せざえるをえないことを意味します。

マインドフルネスと恐れは、コインの表と裏のような関係にあるようです。

恐れを無視しようとすれば、心ここにあらずになるしかない。

だけど心ここにあらずでは、先ほどの子供との時間のように、喜びも失う。

喜びを失いたくないのなら、マインドフルに生きるしかない。

とても難しいですが、どうもそういうシステムになっているようです。

マインドフルネスを取り戻すには

マインドフルであるためには、瞑想トレーニングが有効です。

でもどうしても瞑想がうまくいかないときは、逆に「恐れを直視する」という方法があります。(それも瞑想)

恐れの特徴は、たいていは「実在しない」ということです。

昔は「山の向こうに鬼がいる」と信じ込んでいた人もいたと思います。

そうやって鬼を恐れたまま人生を終えた人もいたことでしょう。

でもあるとき誰かが行ってみたら鬼なんていなかった。

ぼくたちもそうやって、一つ一つ見に行くのです。

そうやって自分の中の恐れのバブルがはじけて実際の大きさに戻るとき、そこにマインドフルネスが現れてくれるかもしれません。

 

 

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