発達障害はほぼただの個性だなあと思った

アメリカでは、自分を抑えて人に合わせる能力以上に、自分の価値観をもつことのほうが大事なんだなあ、と感じることが多かったです。

教育でも、とにかく自己肯定感や自信が大事にされていると感じました。

それは失敗を避け合格点を目指す感じではなく、なにもかもがプラスされていく感じでした。

高校生のころにアメリカのホストファミリー4つでそれぞれ4か月ずつ生活したときに、自信満々なホストブラザーやシスターたちと生活をして、日本人との育ち方の違いを強く感じました。

まあそれはいい悪いやどちらが優れているか?というよりも、国の成り立ちの違いかなと思います。

開拓者の中で強くなければ生き残れなかった国と、自分を抑えてでも仲良くすることが生きる知恵だった国の違いで、

どちらもある意味では古い恐れに動かされてきたのかなあという気がします。

 

日本では空気が読めないことは大きな問題になるけど、どちらの高校でもそういう人はいて、でもその印象は大きく違いました。

日本人はその「空気」についていこうとがんばるけど、アメリカでは「これが自分」と開き直っている人が多くて、

そういう自分のデメリットをどうやって抑え、できればメリットを引き出していくか?みたいな、もっとドライな印象を受けました。

たとえば日本で「この人は発達障害」という人をアメリカ人ならどう見るか?を想像すると、あくまで個人的なイメージではありますが、ほとんどが「十分常識人かつ個性的な人」程度かなあという気がします。

 

わたしの場合は日本では幼稚園のころから問題児で、ここではいわゆる発達障害なわけだけど、

評判がいまいちだったわたしの問題も、アメリカではなぜか個性的だと褒められることが多くて、生活はとても楽でした。(居心地が良くて結局4年弱いました)

「外の世界では自分は特に問題もなくふつうなんだ」

というようなことを体験できたことで、どれだけ楽に生きてこれただろうなあと思います。

海外生活を体験すると、自分が自分を丸く小さく抑えて生きてきたことが、果たして絶対的な善だったのか?

と疑問に思い始める人が多いようです。

聞くところによると、中国留学も日本人のメンタル解放には効くらしく、言いたいことが言いたいときに大音量で言えるようになるらしいです。笑(わたしも中国へ仕事で行ったとき、いつの間にか大声で話していました。商談から宴会までずっと大騒ぎですごく気持ちが良かった。)

 

自分の存在はマイナスで…成長してなにかを身に着けたり、なにかが治ったらやっとプラマイゼロで…

そうやってがんばれたあかつきにようやくスタートラインに立てるんだ…

というような罪悪感は、どこか日本人特有かなあという気がします。

自分の価値を測る物差しは自分の外側にあって、それによって評価されていて、

合格ラインの内側にいられるときは自信ももてるし安全で快適だけど、

できないことがあると逃げ道がなくて、だけど村八分も怖くて、

仕方がないから自分をそのなにかから守るために、許してもらうために、弱くなる…

というようなことが、小さいころからの自分の思考を思い返しても多かった気がします。

 

 

すでに個として十分解放されているアメリカ人がさらに解放される…と評判のドラマ↓

生きづらさを感じている人におすすめ

シュースター先生と子供たちがともに解放されていく感じが感動的!

HULUで観れました)

 

 

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