発達障害~4つのタイプ
たとえばチームプレーが苦手な人が、自分は発達障害なんだと理解ができると、少し楽になれますよね。
でも発達障害がイコール不幸かというと、必ずしもそうでもないような気がしていて、その違いはなんだろう?と考えることがあります。
個人的な感覚では、発達障害に生まれてそこからどんな人生を送っていくか?は、育ちによって4つの流れに分かれていくという気がします。
1.それを認められて育った。自分のそれを個性だと思っている。だから能力として使って生きている。
2.それを認められて育った。ただしデメリットだという前提だった。だから自分を抑えながら生きている。
3.それを認められなかった。自分のアイデンティティを守るために、戦いながら生きている。
4.それを認められなかった。自分のアイデンティティを自分でも否定するような罪悪感を抱えて生きている。
もう少し具体的には、
たとえば1では、経営者にはADHDやアスペルガーが多いと言われるし、
個性的なアーティストや研究にのめり込む科学者などが例に出されたりすることも多いと思います。
また一般的には、変わり者であることが周りにかえって好かれている人などもそうかなと思います。
2は、愛されてはいて穏やかだけど教室ではできるだけおとなしくしているタイプ。
3は、1と似たような成功者でも、怒りがベース。自滅することも多いパターン。
4は…(悲
わたしの場合は、結婚するまでは3だったけど、結婚後、とくに子育てが始まってからは、2と4を行ったり来たりな感じでした。(子育てや家族生活が思ったようにできないときに4になってしまうことがある)
1と2、そして3と4は似ているのはまあ分かりやすいですが、
1と3も外から見ると区別がつかないことがあると思うし、2と4もそういう意味では似ていると思います。
でも1とそれ以外は決定的に違います。
1以外の人が根底に抱えている悩みや生きづらさというのは、要するに罪悪感かなと思います。
自分がこの自分であることの罪悪感。
もしその罪悪感が解決できれば、残るのは個性だけで、1のように自分らしく生きることができるはずです。
個性が好かれることもあれば嫌われることもあるのは、ふつうの人と同じです。
問題は、そこに紐づけられている育ちから来る罪悪感。
それだけ。
そうシンプルに捉えられると、少なくとも考える方向性ははっきりするだろうと思います。
発達障害というのは脳の仕様の違いの話だから、治る治らないの話しではないらしいけど、
それをどう捉えるか?という部分だけは、後天的になんとかなる部分もあるのかなと、自分の体験を通しても思います。
そしてどう捉えるようになったか?は後天的な話なわけで、もともとは自分のせいじゃないんですよね。
周りに溶けこめない…という悩みをよく聞くけれど、そんなときによくこういうことを考えます。
孤独感が辛くなったときは、
そもそもみんなと同じでないことが大きなリスクであるこの村社会で、自分がそれを上手にできないことを勇気をもって直視してみると、
自分の性質はただの個性だと思えるかもしれないし、
そうなってしまうに至った自分の欠乏感の大きさや種類が理解できたり、
そうなれると逆に問題と捉えなくなっていけるかもしれません。