能力を上げるよりも無駄を削減するほうが早いかも
個人的な見方ですが、大体の人は、能力を上げるよりも無駄を削減するほうが、問題解決にも幸せにも早い気がします。
少なくともわたしにとってはこれまでの人生ではそうでした。
みな自分の人生を生きていくための能力は十分にあると思います。
他人と比較すれば、優劣や多い少ないはあるかもしれません。
でも能力にもいろいろあって、ビジネススキルの話だけでなく、世話をしたい能力もあるし、逆に世話になることができるプライドが少なめという能力あたりまで考慮すると、
「生きていくための能力」はそれこそ人の数だけあるのではないかと思います。
話を少し飛躍させると、
お金を増やす人、雰囲気を明るくする人、勇気づける人、なぐさめる人、世話をする人、世話をされることで相手に存在感を与える人、ピンチのときだけ活躍する人、隕石が降ってきたときに自分を犠牲にして破壊しに行けるタイプの人など、
本当に本来の意味で個々の性質を自然に活かした役割分担を受け入れることができれば、人類はとても快適に生きられるだろうと思います。
現状は、隕石が降ってきたら片道切符で宇宙まで壊しに行ってくれるようなタイプの人を、性質的に大して活躍が期待できない日常業務で消耗させてしまっているので、
実際に隕石が降ってきたときには、これまたその対処に向いていないたとえば臆病なタイプの人たちがわらわらと対処しなければならないような社会になってしまっている気がします。
こう考えると、能力が発揮できない問題は、個人の話では片付けられないような気がしてきます。
まあ教育のテーマが「みんな同じ」「一致団結」なので、仕方のない話だと思います。
こんな感じでわたしたちは、社会の中でも個人の中でも、大きな無駄に支配されていると思います。
話を身近へ戻すと、家族や会社経営レベルなら、このような感じ方になれたら今すぐにでも人生は楽になれると思います。
余談ですが、こんな観点で日本のスポーツを観ていると、なんだかむずむずしてしまいます。
みんなで無理やり声出してエネルギーを無駄に消耗してる場合かーい!フォワードは自己中にチャンスが来るまで休んどきー!と思う。笑
昔、中田が言いたかったのはこういう感じのことではなかったかと思います。
日本のスポーツは、「無駄を訓練」している感じが観ていてたまに辛いです。
そしてもう少し深くいくなら、あとはいつものエゴの話です。
エゴは成果よりも気分が大事です。(それが行動の動機になる脳の仕組みなのだから仕方がないが)
なのでエゴに支配された自分は、成果なんてそっちのけで、気分が少しでもよくなるために一日の大半を使っています。
そんな気分にも2種類があります。
一つは、根本的な自己肯定感の高さからくる気分の良さ、
もう一つは、それがないことからくる、それをなんとか補完しようとがんばる焦燥感です。
前者は、育ちが良ければ余裕があるので安定しています。
一方で後者における気分の良さとは、どれだけ食べても満たされるのはほんの一瞬のことで次の瞬間にはまた欠乏感に悩まされる、欠乏感とセットなタイプのものです。(「満足させない」のが自分を動かす脳の仕組みだからこれもまた仕方がない)
「あなたの仕事は80%くらいが無駄に見えますよ」なんてつい失言してしまうと、大体の人はまずむっとします。(←実は褒めているのだが笑)
でもたまにピンとくる人もいて、
「ということは、わたしはたった20%の力でこれを回しているの?」
「ということは、80%はもう家に帰ったり旅行したりしててもいいの?」
「ははは80%??わたし…もしかしてもっとすごいビジネスができるのでは??」
となる。
そうなると、
「自分の人生は80%が無意味だった…」なんて気がついてしまってももう怒りません。笑
そしてなんだか笑えてくる。
自分に対して、たとえばペットが無駄に一生懸命なのをみてあほかわいくて愛おしい気持ちになるのと、似た気持ちになる。→自己肯定感の基本値が上がる。
エゴの解決は、下から20%で十分だと思います。
80対20の法則に従って、最も深いところにある欠乏感を20%解決できると、(=といってもそこにそれがあったことを自覚するだけだが)
無駄な時間の80%が減る。
それは、めんどくさい取引先を最もめんどくさい順に20%削減すると余剰時間が80%増え、結果的に業績が大きく上がるような話と同じです。
その新しく生まれた80%でなにをするのか?は、自分の自由です。
罪悪感や恐れや競争心や承認欲求から十分に自由になった自分は…
いったいなにを欲しがるのだろ~~~((o(´∀`)o))ワクワク
隕石を壊しに行く仕事が来るまでは、ビールでも飲んでのんびりしていればいい。
あなたはこの映画の中でのブルース・ウィリスなのかもしれないよ。
(髪の毛の話ではないですよ)